感謝で買えるパン
折原誠路は毎朝、団地の共同売店で食パンを買う。生活補助を使うには、食べ物への感謝スコアが五十以上必要だ。廃棄を減らすための規則で、空腹な誠路はいつも八十を超えていた。
その朝、彼は食パンを二袋レジへ置いた。
一袋は弟の千景の分だった。仕事を失ってから部屋を出なくなり、三日前から水しか口にしていない。
端末が購入者を確認する。
《一袋目:折原誠路。感謝八十四。補助決済可》
《二袋目:世帯員・千景。感謝三。補助決済不可》
「俺が二袋とも食べる」
《一日の適正量を超えます》
「弟に食わせたいんだ」
《受益者本人の感謝が基準未満です。食資源の価値を理解してから再申請してください》
通常価格なら買える。だが財布には、補助後の代金しかなかった。
誠路は千景へ電話をかけた。
「画面に指を置け。パンのこと考えて、ありがたいって思え」
しばらく沈黙が続いた。
「腹、減ってない」
「三日食ってないだろ」
「食べる理由がない」
数値は二に下がった。
誠路は売店の棚を見た。焼きたての匂いが狭い店内に満ちている。後ろに並ぶ人たちは、パンの香りを吸い込み、穏やかな顔で一袋ずつ決済していく。レジ横には「分け与える前に、感謝を育てましょう」と書かれていた。誰も二人分を買わない。感謝の足りない家族へ渡せば、翌月の補助が止まるからだ。
「一袋だけにしますか」
機械が尋ねた。
誠路はうなずいた。決済音が鳴る。
帰宅すると、千景は布団の中で壁を見ていた。誠路は袋を開け、食パンを一枚差し出す。
「俺の分だから、食っても規則違反じゃない」
千景は受け取らない。
誠路は半分にちぎり、自分で一口食べた。もう半分を弟の枕元へ置く。千景はしばらく見つめ、やがて指でつまんだ。
弟が噛んだ瞬間、二人の端末が鳴った。
《補助食品の不適切な分配を検出》
《折原誠路の感謝スコアを再評価します》
数値は九十六だった。
自分が食べなくても弟が食べたことを、誠路は心からありがたいと思っていた。
《高い感謝を確認。違反の故意性が高いと判定しました》
翌月までの補助停止通知が届く。
千景の口元から、乾いたパンくずが一つ落ちた。