戦争を選んだ外交官

御子柴征良は、平和条約締結十周年の式典で、軍服の自分と向き合った。

歴史検証AIが開いた並行世界では、十年前の最後通牒を征良が拒否し、戦争が始まっていた。向こうの征良は外交官から将軍となり、国境都市を奪還した英雄だった。

こちらの征良は領土の一部を譲り、三万人の避難民を生んだ「屈辱の署名者」と呼ばれている。息子も父を臆病者だと責めていた。

「君が署名しなければ、勝てたのか」と征良は聞いた。

「勝った。七年かけて」

「死者は?」

「二十八万人」

会場が静まった。軍服の征良は続けた。

「だが死者の家族は、国境を取り戻したことを誇りにしている。そちらの避難民は、平和に感謝しているか?」

征良は答えられなかった。条約後、政府は犠牲を「最小限」と呼び、移転した村々の名を地図から消した。彼も平和を守るためだと沈黙した。

息子が客席から叫んだ。

「どっちが正しかったんだ!」

二人の征良は同時に息子を見た。向こうの世界では、その息子は十九歳で戦死していた。

将軍の顔が崩れた。

「私は毎晩、署名したおまえを憎んで眠る。息子を生かした卑怯者として」

「私は、戦った君を羨んできた。奪われた人々に顔向けできる英雄として」

歴史検証AIは優劣判定を求めた。征良は端末を閉じた。

式典の予定稿には、平和の成功だけが書かれていた。征良はそれを破り、譲渡された村の名を一つずつ読み上げた。祝典は追悼会に変わった。政府は彼を顧問職から解任した。

帰宅すると、息子が待っていた。

「父さんを尊敬できるかは、まだ分からない」

「それでいい」

征良は答えた。英雄にならなかった自分を誇るのではなく、生き残った息子に判断を預けず、署名の代償を語り続けることにした。

別世界の将軍も、戦勝記念碑へ自軍の死者だけでなく敵兵の名を刻み始めたという。

二つの世界に平和はなかった。ただ、勝利と停戦の嘘が一枚ずつ剥がれた。

一年後、息子と国境の慰霊碑を訪れた。そこには避難中に死んだ者と、別世界で兵士になったはずの同世代の名が並んでいた。息子は尊敬すると言わなかった。ただ父と一緒に、欠けた名前を石へ写した。