拍手のあとに残るもの
千秋楽の劇場が施錠されるまで、あと十二分だった。
有馬萌黄は、誰もいない客席の中央でプログラムを閉じた。舞台上から、作・演出の諏訪周作が降りてくる。
「来てくれたんだ」
「確認しに来ただけ」
「何を?」
「どこまで本当か」
三年前、周作は二人の別れを芝居にした。
主人公が言う台詞は、萌黄が送った音声メッセージと一字一句同じだった。夜中の二時、泣きながら〈あなたの夢を嫌いになりたくない〉と話した声。それを俳優が舞台で言い、客席は美しい別れだと拍手した。
周作は、名前を変えたから誰にも分からないと言った。本当の感情だから届くのだとも。
萌黄には、自分の傷が入場料に変わったようにしか思えなかった。終演後、観客が「あの台詞に救われた」と話しているのを聞き、うれしいと感じた自分にも傷ついた。
「今回の新作には使ってない」
「当たり前でしょ」
「前の作品も再演しない」
「消せばいいって話じゃない」
舞台袖で、スタッフが大道具を運び始める。周作は明日から地方公演へ出て、半年戻らない。
「本当のことを書きたかった」
「私の本当を、あなたが決めないで」
「うん」
「今日の最後の台詞、私が好きだった紅茶の名前だった」
「それも駄目だった?」
「覚えてたことは、うれしかった」
言った瞬間、萌黄は悔しくなった。まだ好きだと認めれば、無断で使われた言葉まで二人の共同作品にされそうで、ずっと言えなかった。
「じゃあ、何なら書いていい?」
「私に聞いて」
「断られたら?」
「書かないで」
周作はうなずいた。以前なら、芸術に許可は要らないと反論したはずだった。今は鉛筆を置き、萌黄が次に話すまで台本を開かなかった。
劇場の客電が一列消える。
「本当のことなら、私に先に言って。客席より先に」
「今からでも?」
「今日はもう閉まる」
萌黄は立ち上がり、プログラムの余白に翌日の時刻と喫茶店の名を書いた。
それを周作の台本へ挟む。音声メッセージを消したかどうかは確かめなかった。代わりに、自分のスマートフォンから彼のトーク画面を開き、三年前の録音の下へ〈次は送る前に会う〉とだけ打った。
送信せず、画面を閉じた。劇場を出るまで、プログラムは破らなかった。