星磨きの靴

靴磨き部屋は、舞踏広間の真下にあった。

夜ごと天窓へ靴を置き、星明かりで磨けば、その靴は一度だけ「通れない道」を歩ける。壁でも閉ざされた門でも、水の上でも越えられる。代わりに磨いた者は、自分が知る帰り道を一つ失う。

侍女ノルディは、婚礼用の白い靴を膝へ載せていた。

持ち主の王女は、夜半に地下階段を下りてきた。頬には化粧で隠しきれない痣がある。明朝、その痣をつけた公爵と結婚する。

「南門の向こうまで行ければ、叔母の修道院へ逃げられる」

王女は靴磨き台の前へ跪いた。

「命令はしないわ。あなたの帰り道を奪うから」

ノルディには、失ってよい道などなかった。

王宮の厨房へ向かう道。共同寝室へ戻る道。給金日に城下の郵便屋へ行く道。どれを忘れても働けなくなる。

そして一つ、七年歩いていない道がある。

山の麓から故郷の家へ続く細道。白樺を三本過ぎ、羊柵で右へ曲がり、青い屋根が見えたら祖母の家だ。奉公を終えたら、その道を帰る。祖母は毎年、春になると「今年こそ戻るかい」と手紙に書いた。

今年こそ帰るつもりだった。貯めた給金で屋根を直し、二人で暮らす。道を失えば、地図があっても魔法が足を迷わせる。故郷へ近づくほど、別の曲がり角を選んでしまう。

王女は立ち上がった。

「忘れて。私が間違っていた」

その声に、諦めることへ慣れた響きがあった。

ノルディは白い靴を天窓へ置いた。雲の切れ間から星が一つ見える。

「王女殿下。南門を越えたら、振り返らないでください」

「でも、あなたは」

「私の祖母は、帰ってきた人を責めない人です。帰れない人のことも、きっと」

磨き布を動かすと、星明かりが靴の爪先へ集まった。白樺の細道が頭の中に浮かぶ。羊柵、青い屋根、戸口で手を振る祖母。

光が強くなるほど、道の曲がり方が分からなくなった。

完成した靴を履いた王女は、鍵の掛かった南門へ歩いていく。白い爪先が鉄へ触れると、水面へ入るように体が門の向こうへ抜けた。

夜の街道を走る背中が小さくなる。

ノルディは天窓の下に残った。ポケットから祖母の手紙を出す。『白樺を三本』の文字は読めるのに、その先でどちらへ曲がるのか、どうしても思い出せなかった。