春は一度だけ村を通った

「能力なし。雪かきの邪魔になるだけだ」

村長は瀬名昴へ木の匙を渡し、凍った道の端へ追いやった。

真夏の日本から転移した昴が落ちたのは、十年冬が続く北境の村だった。鑑定炉に火が灯らず、食料を分ける価値もないと判断された彼は、宿代の代わりに雪を掘っていた。

夕方、白い丘が笑い声を上げた。

雪妖精の群れが村へ滑り込む。掌ほどの低級魔物だが、触れたものを凍らせる。井戸の滑車、家畜の脚、逃げる子どもの靴が次々に氷へ閉じ込められた。

兵が火矢を放つと、妖精は雪煙へ散ってまた増えた。

昴は丘の頂上を見た。吹雪の向こうに、鎖で地面へ縫いつけられた白竜がいる。雪妖精は竜の息から生まれ、村を襲うたび鎖へ魔力を送っていた。誰かが竜を利用して、北境を永久凍土へ変えようとしている。

「竜ごと焼け!」

領都から来た魔術隊長が命じる。

昴は木の匙で雪を一杯すくった。前世で祖母が言っていた。春は雪を敵として倒すのではなく、水へ帰すのだと。

「一度でいい。ここを通ってくれ」

彼は《春告げ》を一度だけ鳴らした。

鐘はないのに、村じゅうへ柔らかな音が広がった。

雪妖精たちは光る雫へ変わり、畑へ染み込む。凍った井戸が回り、家畜の脚から氷がほどけ、屋根の雪だけが水路へ流れた。丘の白竜を縛っていた鎖は若葉になって散り、竜は目を開ける。

咆哮ではなく、長い吐息。

十年分の吹雪を吐き終えた白竜は、空へ昇る途中で光となり、北の雲を一枚残らず連れて消えた。

季節を測る氷柱碑が春の目盛りを越え、根元から割れる。土の下から、誰も見たことのない黄色い花が一斉に顔を出した。

北境公アイナが、氷の観覧台から立ち上がった。冬の呪いで歩けないとされていた彼女が、自分の足で昴の前まで来る。

「十年の軍勢ができなかったことを、あなたは一度の季節で」

村長の手から木の匙が落ちる。

子どもたちは昴の周りへ集まったが、雪を投げるためではない。初めて見る花を、最初に彼へ渡すためだった。

村中の窓が開き、北境の人々は、食料を奪う異邦人ではなく、春が選んだ案内人として彼を見つめていた。