昨日を保存する石板

忘暮谷では、日が沈むと子どもだけがその日の学びを忘れた。

朝に十まで数えても、翌朝は一から。名前の綴りを覚えても、夕焼けとともに指が止まる。呪いを恐れた教師は去り、親たちは「どうせ消える」と学校を閉じた。

谷守シオンは、忘れない教師を探さなかった。忘れても続けられる教室を作った。

月石の粉を混ぜた石板へ自分の手で書くと、翌日、その文字に触れた時だけ感覚が戻る。高価な粉は、谷を訪れる呪術師の商用鑑定料へ百分の二を課して買う。住民の治療や、呪いの相談は無料。徴収額、石板の枚数、粉の使用量を月形の掲示板へ刻んだ。

都の呪術師は鼻で笑った。

「貴重な月石を、毎日忘れる子へ?」

シオンは静かに返した。

「毎日失う子にこそ、昨日へ戻る道が要ります」

石工は割れた月石を薄板へ磨き、親たちは夜になる前、子どもが書いた頁へ日付を刻んだ。老人は昔話を短い文にし、パン屋は朝一番の授業へ温かいパンを届けた。誰も呪いが解けるとは言わなかった。それでも教室は満員になった。

月石板は学校の備品でありながら、書いた内容を本人の許可なく消せないと定めた。成績を比べるためではなく、昨日の自分へ渡す私信だからだ。裕福な家が粉を買い占めようとすると、石工組合は公開在庫を指して断った。谷で初めて、記憶の置き場所が財産の差から守られた。

少女ユラは初日、自分の名を三度書いた。夕暮れ、やはり全てを忘れた。

翌朝、石板を見ても知らない文字にしか見えない。泣きそうになりながら指でなぞると、昨日握った白墨の冷たさ、隣で笑った友達の声、最後の一画を引いた喜びが一息に戻った。

「これは、私が書いた」

友達も自分の板を開き、昨日覚えた遊び方を読み戻した。知識だけでなく、一緒に過ごした時間まで翌日へ運べると分かり、教室に笑いが増えた。

その日、ユラは名前の隣へ「二日目」と加えた。

教室の扉には、月石の小片で新しい校名が埋め込まれた。夕日が沈んでも、その文字だけは淡く残った。

『昨日から続く学校』