更新ボタンの向こう

篠宮青葉のパソコンには、二つの選択肢が表示されていた。

〈現勤務地を継続〉

〈完全在宅勤務へ変更〉

後者を選べば、倉持寛希のいる高松へ移れる。海の見える部屋を探すことも、平日の夕食を一緒に食べることも、画面の向こうの予定ではなくなる。社内制度の申請期限は、今夜二十三時五十九分だった。時計の数字だけが、相談より先に答えを求めていた。

青葉は画面を共有せず、ビデオ通話をつないだ。

「どっちがいいと思う?」

「青葉が働きやすいほう」

「どっちでも?」

「どっちでも」

寛希は即答した。

彼は以前、恋人に合わせて音楽の仕事を諦めたことがある。その後悔を、青葉は何度も聞いていた。だから「そっちへ行きたい」と言えば、また誰かの人生を背負わせる気がした。それだけが、好きと言えない理由だった。

残り十五分。カーソルは二つのボタンの間を揺れる。

「在宅にしたら、高松に住んでもいいんだよ」

「うん」

「東京を離れても?」

「青葉が決めたなら」

「私が高松へ行って、うまくいかなかったら?」

「東京へ戻ればいい」

「簡単に言うね」

「簡単じゃないよ。でも、俺が決めたことにしたくない」

寛希の言葉に、青葉は黙った。考えていたことをそのまま返された。

残り八分。

「興味ないみたいな言い方」

「違う。俺が高松に来てほしいって言ったら、青葉は俺のせいにするだろ」

逃げられない指摘だった。

「しないよ」

「する。失敗したときじゃなくても、仕事がつらい日に一度は思う」

青葉は否定できなかった。

残り三分。申請ページの上部が赤く点滅する。

寛希が画面の向こうで顔を上げた。青葉は息を吸った。

「どっちでもよくない。私は、高松で働きたい。寛希がいることも含めて、私が選びたい」

「それなら、来て」

言葉は短かった。

二十三時五十八分。青葉は〈完全在宅勤務へ変更〉を押した。確認画面でもう一度クリックする。送信完了の文字が出るまで、寛希は何も言わなかった。

青葉は通話を切らず、次に不動産サイトの検索地域を「高松市」へ変更した。