最後の一語を書く羽根ペン
王室書記サウルの羽根ペンは、文末だけを書かなかった。
《本契約を承認》と書けば《本契約を》で止まり、《国境を守る》と書けば《国境を》でインクが切れる。明日の休戦協定で同じことが起きれば、署名は無効。戦が再開する。清書の予行では《武器を置く》が《武器を》で終わり、将軍たちが剣へ手をかけた。サウルは自分の衰えだと思い、夜通し同じ一文を書いたが、百枚すべて最後の動詞だけ白い。指には豆がつぶれた血がにじみ、羽根のほうは涼しい顔で青く光っていた。
「手が震えているせいだと言われた」
サウルは年齢を理由に引退を迫られていた。だが修理店《一筆》のレイネは、彼の手ではなくペン先を見た。
羽根の軸には、文章を短く整える校正魔法が入っている。内部の尺度石が摩耗し、最後の一語を「余分」と判断して削っていた。
新品の尺度石に替えるだけなら早い。しかし百件の条約を書いた羽根には、サウルの筆圧と癖が染みている。新しい石では明日の署名に間に合わない。
レイネは摩耗した石を半分に割り、裏返して戻した。削れていない面を使いながら、古い記憶を残す。さらに軸へ小さな終止符を刻んだ。そこへ到達するまで、魔法は勝手に文を終えられない。
「試してください」
サウルは紙へゆっくり書く。
《私は、最後まで書く。》
ペンは《書く》を消さなかった。黒い終止符まで、きちんとインクが続いた。
二行目は速く、三行目は若い頃のように流麗だった。
《休戦は、ここから始まる。》
最後の《始まる》が乾くまで、二人とも黙って見届けた。羽根ペンは勝手に文字を削らず、紙の上で静かに止まる。サウルの指の震えも、書き終えた瞬間には消えていた。
サウルは修理代を置き、試し書きの紙を丁寧に折る。
「引退するかどうかは、明日の文を書き終えてから自分で決める」
「それが正しい文末です」
彼は羽根ペンを胸へ差し、扉を出た。
レイネが机の紙屑を片づけると、入口のベルが鳴る。
新しい注文票の最初の一語が、扉の隙間から差し出された。