有給欄に書いた観劇

羽鳥風花は、舞台遠征の休暇をすべて「家庭の都合」にしていた。

有給申請の理由は本来、書かなくてもいい。けれど繁忙期に金曜や月曜を休むたび、「私用」では申し訳ない気がして、自分から重い言葉を足した。大阪、福岡、仙台。上司は家族の介護か何かだと思ったらしく、仕事量を減らし、相談窓口の資料まで渡してくれた。

職場では、忙しい時期に楽しみを優先する人と思われるのが怖かった。だから申請前には必ず引継ぎ表を作り、誰より早く仕事を終えた。それでも、観劇という二文字だけは、努力を全部軽く見せる気がして書けなかった。

親切が積み重なるほど、訂正できなくなった。机に置かれた相談窓口のカードを見るたび、自分の楽しみが誰かの本当の困り事の場所を借りているようで、胸が痛んだ。

次の札幌公演は、平日の昼しか取れなかった。申請画面を開くと、理由欄で指が止まる。いつもの言葉を入力しかけたところで、上司から個別面談へ呼ばれた。

「遠方が続いているけど、無理していない?」

机の上には、介護休暇制度の案内が置かれていた。

風花は胸が詰まった。舞台を好きなことより、人の心配を利用して休んでいることのほうが、ずっと恥ずかしい。

「家族のことではありません」

一度言うと、続きは短かった。好きな俳優の舞台を観るために、地方公演へ行っている。軽く見られたくなくて、曖昧な理由を書いた。

上司は制度案内を閉じた。

「有給の目的を評価するつもりはないよ。私が心配したのは、あなたが困っているように見えたから」

机の端には、地方球場の名前が入ったキーホルダーがあった。上司も年に何度か、野球の遠征で月曜を休むという。

席へ戻り、風花は過去の申請メモから「家庭の都合」を削除した。誰にも説明しなくていい権利と、嘘をつかなくていい自由は、同じ場所にある。

札幌公演の申請理由には、あえて具体的に書いた。

『舞台観劇のため』

送信ボタンを押す。承認通知は一分後に届いた。

風花は机の引き出しから札幌の劇場案内を出し、業務手帳の休暇日に挟んだ。今度は、家庭の都合という紙で覆わなかった。