木の役だった私へ
同窓会の映像上映で、絃葉は緑色の段ボールをかぶった自分を見つけた。
文化祭の劇で、役は「森の木・三番」。台詞は一つ、「こちらの道です」だけ。主役を希望して落ちた絃葉は、舞台袖でずっと不機嫌だった。
上映された映像では、終盤に主役が台詞を忘れている。客席がざわつく中、木の絃葉が予定より早く前へ出て、「こちらの道です」と言った。相手役がそれをきっかけに次の場面へ進み、劇は止まらなかった。
そんなことは忘れていた。
記憶に残っているのは、終演後の教室で段ボールの葉を外し、拍手が主役へ集まるのを窓際から見ていたことだけだ。自分は何も選ばれなかった。その感情を、十年も大切に保存していた。
「絃葉の一言で助かったんだよ」
当時の演出係だった直生が、映像を止めて笑った。「台本にはないタイミングだったから、みんな覚えてる」
絃葉は「木だったことしか覚えてない」と答えた。会場に笑いが起きたが、嫌ではなかった。
今の職場でも、絃葉は資料を整え、会議の詰まりを解き、発表者の名前だけが報告書に載る。目立つ役が欲しいと言えば幼いと思われそうで、何も言わなかった。
上映後、展示された小道具の中から、段ボールの葉を一枚もらった。緑の絵具は剥げ、裏に「木3」と書いてある。
帰宅すると、翌日の企画会議用ファイルを開いた。表紙の作成者欄には上司の名だけがある。いつもならそのまま送るところを、絃葉は「資料設計・桐谷絃葉」と一行加えた。
大げさな主張ではない。けれど、消していた自分の名を、自分で置き直すには十分だった。
送信前、段ボールの葉をパソコンの横へ立てかける。
木の役だった過去を、主役だったことに変える必要はない。
会議でその一行を見た上司が消すかもしれない。なら、消されたことも口にすればいい。木の役を引き受けることと、名前をなくすことは同じではなかった。
今度は、自分の名前を消さない。
ただ、あの一言で場面が進んだことを知る自分として、明日の会議にも立てばいい。