未完了の訃報
日置透真が二十九歳のとき、四十年後の訃報通知が届いた。
〈作家・日置透真氏死去。代表作は未完の長編『空の余白』〉
透真はまだ一冊も出版していなかった。だが未来で作家と呼ばれ、代表作まである。喜びより先に、題名を忘れまいと紙へ書いた。
彼は『空の余白』を書き始めた。空から言葉が降る町の物語だった。主人公の年齢を変え、町を海辺から砂漠へ移し、結末を十三通り作った。百枚書いては、未来の代表作にふさわしくないと捨てた。友人の結婚式にも、母の入院にも、締切を理由に顔を出さなかった。実際には締切などない。完成させないための作業に、人生の予定をすべて従わせていた。会社を辞め、恋人と別れ、誘いを断った。完成させれば「未完」ではなくなり、訃報の未来が消える気がした。
十年後も、原稿は第一章だった。
二十年後、透真は小さな文学賞を別の作品で取った。編集者は『空の余白』を見せてほしいと言ったが、彼は断った。未完でなければならない。未来が代表作と認めるまでは、誰にも触らせられない。
六十歳を過ぎたころ、姪が部屋の片づけを手伝いに来た。机の周りには、同じ第一章が百通り積まれていた。姪は一つを読み、言った。
「どれが本物なの」
透真は答えられなかった。
その夜、彼は初めて訃報を最後まで開いた。続きにはこうあった。
〈未完の作品を通じ、完成を恐れ続けた一人の人生が惜しまれる〉
称賛ではなかった。
透真は翌朝、百通りの第一章をすべて公開した。完成版はないと明記し、読者に好きな続きを書いてほしいと頼んだ。批判も笑いも届いたが、中には高校生が書いた第二章や、老人が描いた挿絵もあった。透真は初めて、原稿の続きを待つ側になった。自分以外の文章で物語が進むことは、敗北ではなく驚きだった。
透真は六十九歳で死ななかった。訃報の日、元気に公園を歩いていた。未来通知は消え、検索には〈共同創作『空の余白』発起人〉と残った。
未完だったのは小説ではない。完成した姿でしか人に見せられないと思い込んだ、透真の人生のほうだった。