本音を叫ぶ影と静夜トリュフ

公使カシアが菓子店〈夜の粒〉へ入ると、床の影が先に叫んだ。

『狭い店! 椅子が硬い! 店主は眠そう!』

「全部、私の影です。私は言っていません」

三日前から、影が心の中の不満を勝手に口にする。明日は隣国との停戦会談。相手の王を見て影が何を叫ぶか分からない。会談を外されれば、何年も積み上げた交渉は、彼女を嫌う上司の手柄になる。

影は悪口だけでなく、隠した弱音まで叫んだ。廊下では『失敗したら怖い』、会議室では『本当は自信がない』。そのたび周囲は笑い、カシアの提案ではなく表情を観察した。黙って耐える技術で公使になった彼女にとって、影は最も残酷な裏切り者だった。会談の資料には、彼女が譲れない条件だけが赤く囲まれている。影に笑われても、その一行だけは誰にも渡したくなかった。

店主イヴェタは悪口に顔色を変えず、黒いトリュフを一粒、銀紙の上へ置いた。

「静夜トリュフです。食べた人ではなく、その影を一時間眠らせます」

『怪しい! 絶対まずい!』

影が叫ぶ。カシアは唇を結び、トリュフを口へ入れた。

外側のほろ苦い粉が溶け、中から温かな栗蜜が流れた。床の影が大きくあくびをする。

『甘い……悔しいけど……甘……』

最後の音が消え、影は足元へ丸くなった。

イヴェタはわざと硬い椅子を指した。

「座り心地はいかがです」

カシアは腰掛け、心の中で思い切り叫んだ。硬い。店主は意地が悪い。明日の王は頑固者だ。でも私は絶対に停戦をまとめる。

影は一言も漏らさない。

静かな床を見下ろし、カシアは肩から力を抜いた。

「これなら、言うべき言葉だけを選べます」

「本音を消したわけではありません。あなたが口に出すまで待たせただけです」

カシアは金貨を一枚置いた。値段の十倍だった。

「会談は三時間。追加で三粒。余った一粒は、上司の前で食べる」

眠る影を連れて扉へ向かう。外へ出る直前、影が寝言で小さく呟いた。

『勝てる』

カシアは笑って扉を閉めた。

イヴェタが金貨を指で弾くと、ちりん、と静けさを破るベルが鳴った。