消印のない夜

 美琴の休憩室には、宛先のない葉書が一枚置かれていた。

 郵便の仕分けセンター。壁の向こうでは区分機のローラーが高速で回り、バーコード読み取り機が短い電子音を繰り返している。封筒が流れ、止まり、別の箱へ落ちる。午前一時の蛍光灯は、紙の白さだけを強く見せた。

 葉書は印刷ずれの見本だった。片面の風景が少し右へずれ、空の端が切れている。表には住所欄も切手枠もあるが、何も書かれていない。

 美琴はそれを眺めながら、紙パックの紅茶を飲んだ。

 昨年まで、誕生日には必ず葉書を送ってくる友人がいた。今年は届かなかった。連絡が途絶えたわけではない。メッセージアプリでは数日前にも話した。ただ、画面の言葉は流れていき、紙のように机へ残らない。

 棚には、剥がれた住所シールや破れた封筒を入れる箱があった。文字の一部だけが残り、「町」「三丁目」「様」と切れ切れに読める。そこから誰かの暮らしを想像してはいけない。それでも美琴は、どの断片も一度は行き先を持っていたのだと思う。途中で読めなくなっても、最初から空白だったわけではない。

 区分機が止まる。

 空調の風と、屋根を打つ雨だけが聞こえる。

 休憩室のドアが開き、作業着の人が顔を出した。自販機で水を買い、取り出し口から二つ出てきたミントの試供品を一つ机へ置いた。

「余ったので」

「ありがとうございます」

 それだけで、その人は戻っていった。美琴は名前を知らない。胸の名札も見なかった。

 区分機が再び回り始める。

 ローラーが回る。

 雨が樋の中で回る。

 机の上で、銀色のミントの包みが蛍光灯を返す。

 美琴は宛先のない葉書を裏返した。空白へ、今日の日付だけを書いた。誰にも送らない。住所も名前も書かない。消印もつかない。

 それでも、この夜が確かにあったことは紙に残る。

 仕事では、行き先のない郵便物を別の箱へ分ける。届かないものにも、すぐ捨てずに置いておく場所がある。美琴はそのことを何度も見てきた。

 ミントを口へ入れると、冷たさが鼻へ抜けた。

 休憩終了のベルが鳴る。美琴は葉書を制服のポケットへ入れた。

 誰かへ届かなくても、持って帰れる夜がある。今夜はその一枚があれば、一人でローラーの音へ戻れそうだった。