湯上がりの予約札
銭湯「白波湯」の貸切風呂に、十九時の予約札が二枚掛かっていた。
一枚は私、八代木史花。もう一枚は、同じマンションの住人、鷺ノ宮佳代さん。番台の牡丹さんは「帳面には一件しかない」と首をかしげ、清掃を終えた鐘ヶ江さんも困った顔をした。
私は浴室の改修中で、一週間だけ貸切風呂を使っている。佳代さんとは、エレベーターで挨拶を交わす程度。予約を重ねられたのは、牡丹さん、鐘ヶ江さん、佳代さんの三人だった。
脱衣所を見ると、手掛かりが三つあった。
二人分のタオルのうち、一枚には私の部屋番号「506」が刺繍されている。桶のそばには、私が苦手な柑橘の入浴剤だけが取り除かれていた。そして佳代さんの予約札は新しい紙なのに、紐だけが、先週なくした私の髪留めのゴムだった。
「佳代さん、髪留めを拾ってくれたんですね」
彼女は買い物袋から、小さな銀色の飾りを出した。母にもらった髪留めだった。
先週、私が脱衣所に忘れたものを佳代さんが拾った。ところがゴムが切れており、自分が踏んで壊したと思い込んだらしい。修理店へ持ち込むと一週間かかる。直接謝ろうとしても、私は毎晩遅く、会えない。
そこで牡丹さんに頼み、私と同じ貸切時間に自分の札も掛けてもらった。風呂へ入るつもりはなく、直した髪留めと新しいタオルを置いて帰る予定だった。部屋番号は、取り違えないよう自分で刺繍したという。
「ゴムは前から弱っていました」
私は飾りを受け取った。
「踏まなくても、たぶん切れていましたよ」
牡丹さんは、佳代さんが柑橘の入浴剤を外しておいたことも教えた。以前エレベーターで、私が香りに酔うと話したのを覚えていたらしい。
貸切風呂は二人でも十分広い。私は佳代さんに、せっかくだから一緒に入らないかと誘った。
湯上がりに、鐘ヶ江さんが瓶の珈琲牛乳を二本並べた。佳代さんは腰に手を当てて一口飲み、照れくさそうに言った。
「次は、普通の世間話を予約しましょう」
私は冷たい瓶を合わせた。
「それなら毎週でも」