灯台下の航跡
港湾警察の巡視艇は、十五年前の航跡を一分だけ記憶していた。
密輸事件の通報者が海へ転落し、遺体も船も見つからなかった夜。水上警察隊の千代森岳は、廃棄される旧式航法装置から断片データを復元した。公式航海日誌では巡視艇は岸壁を離れていない。だが画面の白い線は、灯台沖まで往復していた。
操船していたのは、現在の隊長・鳴海戸惣。
「試験航行だ。日誌の記入漏れだろう」
「通報者の携帯が最後に発信した地点と重なります」
岳は一度だけ、同じ時刻、同じ潮で再現航行を行った。航法装置の誤差を確かめるためだ。灯台の影へ入ると、陸上レーダーから巡視艇が消える。その死角は四分続いた。復元された航跡には、その中央で二十七秒だけ停止した点があり、通報者の携帯が途切れた秒と一致した。
鳴海戸は操舵席の手すりを握った。
「通報者を保護した。密輸船に警官が乗っていたと言った」
「誰です」
「当時の警備部長の息子。今は本部の組織犯罪対策課長だ」
通報者を乗せた巡視艇へ、岸から帰投命令が出た。鳴海戸は従い、死角の海上で別の警察艇へ引き渡した。その後、男は消えた。
「海へ落とすところを見たんですか」
「見ていない。見ないように、灯台の方を向いていた」
再現航行の録音機は回っている。だが命令では「装置誤差の確認のみ」とされ、供述の聴取権限はない。鳴海戸の発言を証拠化すれば、岳自身が違法な誘導聴取をしたと攻撃される。航海資格まで失えば、二度と巡視艇には乗れない。
「航跡だけ提出しろ」と鳴海戸は言った。「私の声を消せば、お前は隊に残れる。海で背中を預ける仲間を失わずに済む」
灯台の光が一度、二人の顔を横切った。岸から、再現終了の無線が入る。
岳は航法装置の記録保存を押した。続いて録音機を、航海データと同じ事件番号へ紐づける。規定違反の警告が赤く点滅した。
鳴海戸が主電源へ手を伸ばす。
岳は先に非常送信レバーを倒した。灯台下の一分の航跡と、隊長の声が、県警本部ではなく海上保安監察回線へ一斉送信された。