灰の中の婚約指輪
公爵令嬢アマリシュの処刑理由は、王太子への毒殺未遂だった。
毒入りの杯を用意したのが王太子ケイルド自身だと知る者は、処刑台の上にいる彼女しかいない。婚約を破棄し、隣国の姫と結ぶための筋書きだった。
証拠とされた毒瓶には、アマリシュ家の紋章が刻まれていた。だが瓶の底には王宮工房の製造印がある。裁判官はそこだけを布で覆い、証拠台へ置いた。
「罪を認め、私へ赦しを請え」
特設玉座からケイルドが告げる。
アマリシュは柱の前に立ち、右手を胸の高さへ上げていた。薬指には婚約指輪。両手を縛るはずの縄を、彼女は「最後に指輪を返すため」と頼み、一方だけ外させている。
指輪の内側には《偽りのない未来を》と、ケイルド自身の筆跡で刻まれていた。彼はその文言が観衆へ読まれる前に、彼女ごと焼くつもりだった。
「受け取りにいらして」
「その手ごと灰になれ」
王太子が火杖を向けた。
炎の渦が処刑台を包む。赤い花のように膨らみ、柱も天蓋も焼き落とした。観衆が顔を背け、熱風に旗が焦げる。
火が退いた。
王宮工房の職人が思わず立ち上がる。あの温度なら金の指輪は先に融ける。ところが煙の中では、指輪の宝石だけが冷たい光を返していた。
アマリシュは灰の中央に立っていた。
右手を胸の高さへ上げたまま。指輪も、白い指も、黒髪も変わらない。炎を受ける前とまったく同じ姿勢だった。
ケイルドは玉座から腰を浮かせる。
「耐火の護符だ。竜炎なら消せる!」
広場の檻が開かれ、飼い慣らされた蒼竜が引き出された。王太子は竜の首輪へ魔力を流し、口を処刑台へ向けさせる。
廷臣が止める。
「殿下、王都内で蒼竜の全力は――」
「撃て!」
青白い炎が一直線に走った。
処刑台の石が蒸発し、背後の裁判所まで半円形に抉れる。防壁が割れ、砂塵と蒸気が空を覆った。
ケイルドは立ち上がり、煙の向こうを睨む。
やがて、差し出された右手が見えた。
その次に、指輪。
最後に、無傷のアマリシュの顔。
彼女は最初と同じ姿勢で、彼を待っていた。
「返すだけです。怖いのですか?」
群衆の視線が、玉座へ集まる。
ケイルドは階段を一段下りかけた。だがアマリシュの手へ近づく代わりに、無意識に右足を引いた。
王太子は、婚約者から一歩退いた。