父のロッカーは十三番
職員ロッカー十三番は、緊急連絡先のない者に割り当てられる。
使用者が退職または死亡しても、病院側は開けない。血縁者か同居人が受け取りに来て、扉の前で関係だけを名乗れば開く。名前を言ってはいけない。誰も来なければ、ロッカーは十三階へ移される。
瓜生慎吾の父は、病院で設備員をしていた。
父が倒れたと連絡が来たのは、死後三日目だった。緊急連絡先は空欄。病院は戸籍を調べず、父の財布に入っていた古い写真の裏へ書かれた番号へ電話したという。
慎吾は十年以上会っていなかった。
遺体の手続きが終わると、庶務の職員が「十三番もお願いします」と鍵を渡した。地下の更衣室には十二番の次に十四番がある。十三番はすでに移されたらしい。
業務用エレベーターで十二階まで上がる。職員が「関係だけ言ってください」と念を押し、十四階のボタンを押した。
途中で扉が開いた。
十三階にはロッカーが一つだけあった。錆びた扉に、父の作業帽が磁石で留められている。
慎吾は言った。
「息子です」
鍵を使う前に扉が開いた。
中には替えの靴下、懐中電灯、工具箱、弁当用の保温容器があった。壁には、慎吾が小学生のころ描いた父の似顔絵が貼られている。離婚のとき母が捨てたと思っていた絵だった。
保温容器は温かかった。
蓋に油性ペンで《夜勤明け、慎吾と食べる》とある。日付は十年前、慎吾が父からの最後の電話を無視した日だった。
規則では、遺留品はすべて受け取る。一つでも残すと、ロッカーごと関係が次の者へ移る。
慎吾は作業帽も、靴下も、重い工具箱も袋へ入れた。最後に保温容器を持つ。中で何かが、時計のように十三回鳴った。
一階へ戻って蓋を開けると、白いご飯が二人分入っていた。片方だけ湯気が立ち、もう片方には小さなレンチが箸の代わりに刺さっている。
慎吾は待合室で冷めるまで食べた。味はついていなかった。
空になったはずの容器を鞄へ入れると、また中から規則正しい音がした。帰宅後も、午前一時十三分になるたび蓋がわずかに持ち上がる。
隙間から、父の作業帽と同じ紺色の湯気が一本出て、食卓の向かい側に人の頭ほどの形で座り続けた。