片耳だけの声

午前二時五十分。兵頭岳志は閉鎖前の大学ラジオ局で、美馬花帆とマッチした。停波まで十分。プロフィールの音声を再生した瞬間、八年ぶりでも彼女の声だと分かった。

花帆は局の片づけに来ていた。机には、一本のイヤホンがある。右だけ白、左だけ黒。二人で番組を作っていた頃、片耳ずつ使ったものだ。予算がなく、左右で別メーカーの壊れたイヤホンをつないだ。花帆は右、岳志は左が定位置。恋愛相談の投稿を読むたび、二人は見えない相手へ助言し、自分たちの話だけは放送終了後へ先延ばしにした。花帆の音声プロフィールは、最終回の挨拶と同じ「また来週」で終わる。来週などなかったことを、岳志だけが知っていた。一本のコードには、二人が直した箇所だけ黒いテープが重なっている。

「今度、全国局へ行く」と花帆が言う。

「夢かなったな」

「岳志は、あの最後の録音、聞いた?」

「何度も。何も入ってなかった」

卒業前の最終放送で、岳志は終了ボタンを押した後に「好きだ」と言った。花帆は驚いて言葉を失い、岳志は返事のない沈黙に耐えられず局を出た。花帆は一人になってから録音を再開し、返事を吹き込んだ。翌日、共有フォルダにデータは残ったが、二人とも連絡しなかった。

「私は返事したよ。右側に」

「右?」

技術担当の後輩が、古い録音を再生する。二本のマイクは左右別々に記録されていた。岳志の告白は左、花帆が一人になってから吹き込んだ返事は右。岳志のイヤホンは左しか鳴らず、花帆の端末は右音声だけで再生されていた。

左から岳志の声。

〈番組が終わっても、隣にいてほしい〉

右から、少し泣いた花帆の声。

〈今さら言うの、遅い。でも、はい〉

二人は同じファイルを聞き、互いに自分の側しか届いていないと知らなかった。

アプリには九分前の花帆のメッセージが遅れて届く。

〈今夜も片耳しか使わないなら、これで終わり〉

三時、赤い放送灯が消えた。岳志は白い右耳を花帆へ渡し、黒い左耳を自分につけた。

二人は一本のコードを分けたまま、閉鎖される局の鍵を返した。