牢獄の紅眼猫と細すぎる首輪
地下牢の最奥には、囚人より恐れられる紅眼猫がいた。
血を見ると理性を失う猫型魔獣として、脱獄者を追うため鎖につながれている。新任看守の真帆が初めて餌を運ぶと、先輩たちは鉄扉の外から「腕を入れるな」と笑った。
紅眼猫は餌を見なかった。
壁へ首を擦りつけ、息を吸うたび金属音を鳴らしている。赤い目は怒りではなく、酸欠で充血していた。成長した体に、子猫の頃の首輪が食い込んでいる。
「これ、指一本も入らない」
真帆が言うと、看守長は肩をすくめた。
「緩めたら命令を聞かなくなる」
「苦しくして従わせていただけですね」
翌日には解雇されるだろう。それでも真帆は鍵束を取った。
牢へ入ると、紅眼猫が飛びかかる。牙が喉元で止まり、熱い息だけが肌を打った。真帆は目を逸らさず、両手を開く。
「外す。代わりに、私を噛まないでくれると助かる」
猫は理解したのか、疲れただけなのか、ゆっくり伏せた。
錆びた留め金は動かない。真帆は油を差し、首の皮膚を傷つけぬよう薄い匙を挟む。鑢で一刻近く削った。
看守長が扉を叩き、「処分するぞ」と怒鳴るたび、猫の呼吸が速くなる。
「聞かなくていい」
真帆は耳を両手で覆ってやった。
最後に金具が切れ、首輪が床へ落ちる。紅眼猫は大きく息を吸った。赤い目から一筋、透明な涙が落ちる。真帆は首輪の跡へ冷たい薬布を当て、爪で掻かないよう喉の下をゆっくり撫でた。猫は初めて鎖の届く範囲を確かめず、その場へ横になった。
看守長が拘束杖を向けた瞬間、猫は真帆の前へ立った。だが襲わず、額から鎖を断つ印を浮かべる。同じ印が真帆の鍵束へ移り、牢獄中の不当な魔法拘束だけが音を立てて外れた。
調査に来た王監察官は、その場で看守長の逮捕を命じ、真帆を新しい牢獄長に任命した。
紅眼猫は開いた扉から逃げなかった。真帆の椅子へ上がり、首の傷を避けるよう横向きに頭を膝へ置く。黒赤の毛は短く滑らかで、痩せた体なのに驚くほど重い。その重みの下から、初めて自由に巡る血の温かさが、確かな脈となって伝わった。