画面を伏せたまま

携帯電話店の閉店まで、あと十四分だった。

雪平冴子と八代朋樹は、機種変更の初期設定を前に並んで座っていた。朋樹の端末が壊れ、冴子も同じ機種へ替えることにした。結婚するわけでも、同居するわけでもない。それでも同じ端末を選ぶだけで、少し先の生活を揃えるような気がしていた。

朋樹は元妻の浮気で離婚した。知らない番号、消された履歴、伏せられた画面。それ以来、恋人のスマートフォンが光るだけで表情が硬くなる。

冴子は彼が好きだった。けれど好きと言えない。言えば、安心させるために全て見せる義務まで引き受けそうだった。信頼の証拠としてパスコードを渡す恋は、続けられない。

冴子は一度だけ、頼まれる前に画面を見せたことがある。朋樹は安心して笑い、その笑顔を見た冴子は、自分が正しいことをしたように感じた。けれど次に通知が鳴ったとき、また差し出さなければならない気がした。善意で始めた確認が習慣になる速さを、彼女は知ってしまった。

店員がそれぞれの生体認証を設定していると、朋樹が軽く言った。

「お互いの指紋も、入れておこうか」

「必要ない」

「見られて困るものある?」

店員が気まずそうに席を外した。白い仕切りのあるカウンターに二人だけが残る。

「見せてもいいよ」

冴子はスマートフォンを机へ置いた。

「じゃあ登録しよう」

「見せてもいい。でも、見せろと言われたくない」

朋樹の手が止まった。

「前のことと私を一緒にしないで。好きって言うたび、潔白を提出する関係にはなりたくない」

「疑ってるつもりじゃなかった」

「疑ってない人は、見られて困るかなんて聞かない」

閉店十分前の放送が流れた。朋樹は反論せず、追加登録を開いていた画面を閉じた。

「見せてもいい、を許可だと思ってた。違った」

店員が戻ると、朋樹は追加指紋の欄へ『登録しない』とチェックした。

冴子は画面を伏せたまま、スマートフォンを鞄へ戻した。立ち去ることもできたが、手続きが終わるまで席を立たなかった。

閉店後、朋樹から届いた謝罪のメッセージにも、パスコードではなく夕食の店名だけを返信した。