畑の麦わら帽子
農家の一志は、畑へ出るとき麦わら帽子をかぶる。
昼休みには畦へ置き、その隣で弁当を食べる。猫の「茄子紺」は、決まって帽子の中へ入る。
黒に近い青灰色の猫で、土の上ではよく目立つ。家の納屋で生まれ、畑を自分の庭だと思っている。
一志が帽子を取り返そうとすると、茄子紺は身体をさらに丸める。仕方なく手拭いを頭へ巻いて午後の作業をする日もあった。
八月、息子の唯央が帰省した。都会で働き、畑を継ぐ予定はない。
「まだその猫、父さんの帽子取るの」
「お前より畑に出てる」
昼、三人で畦に座った。唯央はコンビニのおにぎり、一志は妻の弁当。茄子紺は帽子の中。
風がトマトの葉を揺らし、青い匂いがする。
唯央は仕事が忙しく、秋から別の町へ転勤になると話した。一志は詳しく訊かず、胡瓜の漬物を一切れ渡した。
食後、唯央が帽子ごと猫を膝へ載せた。茄子紺は逃げず、帽子の縁へ顎を置く。
帰京の日、一志は新しい麦わら帽子を息子へ渡した。
「畑やらないのに?」
「ベランダで使え」
古い帽子は茄子紺へ譲った。
秋、唯央から写真が届いた。ベランダの鉢植えと、新しい帽子。日差しを受け、少し色が濃くなっている。
一志は畑の端を見る。古い帽子の中で茄子紺が眠り、藁と猫の匂いを風へ流していた。
冬、古い麦わら帽子は納屋へしまわれた。茄子紺は代わりに干し草の山で眠る。唯央からは、ベランダの鉢に小さなトマトが実った写真が届いた。新しい帽子のつばに一つ載せてある。一志は妻へ見せ、「畑をやってるじゃないか」と笑った。春、帽子を出すと、藁には昨夏の猫の毛が挟まっていた。茄子紺は匂いを嗅ぎ、迷わず中へ入る。日差しが弱くても、丸い場所だけ先に温まった。
昼、一志は帽子を猫に譲り、また手拭いを頭へ巻いた。トマトの葉の間を風が通る。古い藁から、去年の夏と息子の手の匂いがふわりと立った。