痛み預かり瓶
透明な瓶へ手を当て、痛む場所を言うと、その痛みが消えた。
ただし瓶が満ちると、中の痛みは家でいちばん「大丈夫」と言った人へ移る。
祖母の膝が悪くなり、家族は瓶を使い始めた。
「右膝」
祖母が言うと、青い煙が瓶へ入る。
痛みは消え、久しぶりに庭を歩けた。
父の腰痛。
母の頭痛。
姉の歯痛。
瓶は便利で、家族は小さな痛みまで預けた。
末の子だけは使わなかった。
「僕は大丈夫」
といつも言った。
瓶の煙が縁まで満ちた夜、末の子が食卓で箸を落とした。
膝、腰、頭、歯。
家族が預けた痛みが一度に移り、体を丸めた。
病院では原因が分からない。
家へ戻ると、瓶の中は空になっていた。
家族はようやく決まりを理解した。
一番弱い人ではない。
一番静かに「大丈夫」と言った人へ、全部行く。
末の子は、以前から学校で腹痛があった。
友達との問題を誰にも言えず、家でも祖母や親の方が大変だと思い、我慢していた。
その「大丈夫」が、瓶に選ばれた。
父は瓶を割ろうとした。
祖母が止めた。
「痛みが戻るのが怖い?」
父が聞くと、祖母はうなずいた。
痛みのない日々を手放したくない。
その正直さに、誰も責められなかった。
家族は瓶を使わず、痛みを一つずつ戻す方法を探した。
祖母は治療と杖。
父は仕事の姿勢を変えた。
母は休む日を作った。
姉は歯医者へ行った。
末の子は学校を数日休み、先生と話した。
痛みは消えない。
家事も仕事も遅れた。
祖母はまた庭へ出られない日が増えた。
けれど誰かが「大丈夫」と言うと、家族は一度だけ聞き返した。
「本当は?」
ある朝、末の子が、
「今日はちょっと大丈夫」
と言った。
家族は笑った。
瓶は棚の上に空のまま置かれた。
痛みを預けるのではなく、紙へ書いて入れる箱として使うことにした。
「膝が痛い」
「疲れた」
「学校が怖い」
満ちる前に、一枚ずつ読む。
痛みは分ければ人数ぶん軽くなるとは限らない。
けれど誰のところへ集まっているかを、見ないままにしないことはできる。
瓶の底には、青い煙が一筋だけ残っている。
家族はそれを、我慢を美徳にした日の色として忘れない。