白い雪の煤
「煤は、白い雪ほど目立つんだ」
北境砦の煙突掃除エッダは、吹雪の朝にそう言った。
兵士たちは笑った。雪が積もれば何もかも白く隠れると思っている。だがエッダは、暖炉の灰を掻き、煙道の割れを探し、屋根に落ちた黒い粒を一つ残らず払った。火が消えれば、敵より先に寒さが砦を殺す。
伝令兵ジルは、深夜の報告を終えて暖炉の前で手を温めていた。
「東塔の見張り、異常なしです」
「煙の流れは異常だよ」
炎が細くなった。
次の瞬間、煙突から白い影が落ちる。雪国の暗殺者《氷這い》。体を薄い氷へ変え、煙道から砦へ侵入する魔族だった。氷の指が伸び、ジルの胸にある国境配置図を奪おうとする。
エッダは煙突用の継ぎ棒を一本外した。
「掃除の途中なんだけどね」
白い影が刃へ変わる。
エッダは継ぎ棒を一度だけ突き出した。
暖炉の火が、細い線になって伸びた。
氷這いの胸には穴すら開かない。ただ体内の一点で、青い結晶核だけが砕けた。怪物は形を保てず、黒い煤と透明な水へ崩れる。背後の配置図も、ジルの制服も焦げていなかった。
《北天一文字》。炎、風、雪を貫いて、狙った核だけへ剣気を届かせる技。北方戦役の剣聖エッダが得意とした。彼女は三十年前の雪崩で死んだと、砦の慰霊碑に刻まれている。
エッダは水を灰受けへ流し、煤を刷毛で集めた。濡れた石を乾いた砂で磨き、煙道の侵入口を耐火粘土で塞ぐ。怪物の足跡は、そもそも一つも残っていない。残った黒い粒も、袋の口を結ぶ頃には消えた。
「司令官に報告を」
「煙突の亀裂なら朝に出すよ」
「そうじゃなくて、あなたの――」
エッダは暖炉へ薪を一本足した。火が戻り、ジルの言葉を柔らかく飲み込む。
翌朝、司令官が見るのは補修済みの煙道と、予定どおり燃える暖炉だけだ。敵国の偵察網から一人消えた理由を知る者は、暖炉前で立ち尽くす若い伝令兵しかいない。
エッダは掃除袋を肩へ掛け、慰霊碑の見える窓には背を向けた。死者の名で呼び止められるより、次の煙突へ向かうほうが性に合っている。
窓の外では雪が降り続く。彼女は白い窓枠に付いた小さな黒点を指で拭い、冒頭と同じ声で言った。
「煤は、白い雪ほど目立つんだ」