百足の靴屋は踵を折る
「歩けない靴は棺だ」
そう言って、百足の靴職人は万里のハイヒールを机へ叩きつけた。
店主の多々良は、革の前掛けの下に何本もの脚を隠し、真鍮の靴べらを指揮棒のように振る。人間が痛みを我慢して歩く姿ほど醜いものはない、と言った。
靴は婚約者と選んだものだった。
顔合わせにも、前撮りにも履く予定だった。だが式の二か月前、彼は別の人と暮らしたいと言った。返品期限は過ぎ、箱を開けるだけで足首が痛む。
「売れるように直せますか」
「新品だ」
「履けないので」
「足に合わないのか、記憶に合わないのか」
「どっちもです」
多々良は真鍮の靴べらを踵へ差し込み、躊躇なく高いヒールを折った。
「ちょっと!」
「歩けない靴は棺だ」
「高かったんですよ」
「値札を棺に入れても、生き返らん」
万里は怒って店を出ようとした。けれど多々良は、折ったヒールを捨てず、革を薄く削り始めた。つま先を広げ、底を柔らかくし、低い踵へ付け替える。
作業中、彼は一度も慰めなかった。
元婚約者の悪口も言わない。ただ、万里の足に残った靴擦れを見て、歩幅を測った。
「結婚する予定だった道しか、歩けないと思っているな」
「そんなこと」
「なら、行きたい場所を言え」
「今は分かりません」
「分からない人間には、遠くまで歩ける靴が要る」
完成した靴は、華やかさを少し失い、代わりに足裏へぴたりと沿った。鏡の前で数歩歩く。痛くないことが、思った以上に悲しくて、そして嬉しかった。足を傷つけてまで守っていた予定が、もう自分を縛らないと分かった。
「売るのはやめます」
「好きにしろ」
「これで、どこへ行けばいいですか」
「靴屋に道を聞くな」
会計後、多々良は折った古いヒールを小袋に入れて返した。中で真鍮の靴べらと触れ、軽い音がした。
「棺だったんじゃ」
「歩けない靴は棺だ」
多々良は何本もの脚で店の床を鳴らし、扉を開ける。
「歩ける靴は、まだ名前のない扉だ」
万里はそのまま駅まで歩いた。
改札前で行き先を決めず、一番先に来た電車へ乗った。