眼鏡を外さない勇者
水瀬環は、週末だけ眼鏡を外した。
剣の勇者アデルには眼鏡の設定がない。度の強いレンズを外し、慣れないコンタクトを入れれば、写真の中では完璧になれた。撮影後は目が赤くなり、帰りの電車で涙が止まらなくても、投稿には写らないので気にしなかった。ただしイベント会場では、人の顔も案内板もぼやけていた。
金曜、目に炎症が起きた。
医師から一週間コンタクト禁止と言われ、環は日曜の撮影を断ろうとした。昼休み、休憩室で仲間へ中止のメッセージを打っていると、机に置いた眼鏡ケースが落ちた。
ケースには、勇者の紋章を自分で刻んである。
拾った同僚の梶浦が、その模様を見た。
「アデルの紋章?」
環はケースを奪うように受け取った。
「弟のです」
環に弟はいない。答えた直後、梶浦の鞄から同じ作品の文庫がのぞいているのに気づいた。
「弟さん、環さんと同じ名前でコスプレしてるんですね」
梶浦はスマートフォンを裏向きに置いた。画面には、環の公開アカウントが表示されていた。
「前から似ていると思っていました。言わないほうがいいと思ってたけど、今の嘘は苦しそうなので」
環は眼鏡ケースを両手で包み、中止メッセージを見せた。
「眼鏡だと、勇者じゃなくなるから」
「写真を見ている側は、衣装が好きで見ています。眼鏡を外して何も見えない人に、完璧な勇者を続けてほしいとは思いません」
励ましというより、感想だった。
環はしばらく考え、仲間への文面を消した。
《眼鏡のまま参加します。設定と違うのが気になる人はごめん》
日曜、環は革ひもで眼鏡を固定し、剣を持った。
最初の数枚にはレンズの反射が入り、環は消してほしいと言いかけた。けれどカメラの向こうの友人の顔が、初めてはっきり見えた。
月曜、梶浦が投稿へ「勇者、視界良好」とだけコメントした。
環は会社の机でも、紋章入りの眼鏡ケースを引き出しへしまわなかった。勇者の自分が眼鏡をかけたのではない。眼鏡の自分が、ずっと勇者だった。