睡眠スコアを閉じる
大庭の睡眠アプリは、眠れていない時間を正確に増やしていた。
午前三時十八分。覚醒七十六分。心拍数七十二。画面の円グラフには、まだ存在しない朝の評価欄まで用意されている。枕元のスマートウォッチが緑の光を手首へ当て、空気清浄機は最弱で回っていた。
眠らなければ、と考えるたび数字が増えた。
明日は休日で、予定もない。それでも低い点数を見ると、一日を始める前から失敗した気持ちになる。大庭は呼吸法の動画を再生し、雨音の音源を重ね、本物の雨が窓を打っていることに気づかなかった。
再生を止める。すると部屋には、空気清浄機の回転と、外の細い雨だけが残った。
午前三時四十六分、玄関の郵便受けが鳴った。
金属のふたが開き、新聞が差し込まれる。廊下で紙を束ねる音がし、足音が次の部屋へ移った。郵便受けが一つずつ、ぱたん、ぱたん、と鳴る。
配達する人の姿は見えない。大庭が起きていることも知らない。夜がまだ終わっていない時間に、朝の紙だけが先に届いた。
新聞には時刻ごとの心拍も、眠れなかった分数も載らない。読まれるころには、配達した人の足音も雨に消えている。それでも紙は届く。朝は評価ではなく、誰かが決めた経路をたどって郵便受けへ差し込まれるものにも見えた。
足音は階段へ消えた。最後のふたが閉じ、雨と機械の音が戻る。
大庭は玄関へ行かなかった。新聞を取るのは朝でいい。画面へ戻ると、覚醒は八十七分になっていた。
設定を開き、「睡眠スコアを表示する」をオフにする。計測自体も停止した。緑の光が消え、手首に暗い円だけが残った。
眠れた時間が増えたわけではない。明日の体が軽くなる保証もない。ただ、眠れない自分を夜中じゅう採点する役目から降りた。
空気清浄機が一度強く回り、すぐ静まる。窓の雨は本物の間隔で続いている。大庭はスマートウォッチを外し、枕の外へ置いた。
時計を外した手首には、丸いへこみがついていた。数値が消えても、今夜そこに機械を巻いていた跡は残る。大庭は指で一度なぞり、布団の外へ腕を伸ばした。肌に触れる空気の温度は、良いとも悪いとも判定されず、ただ少し冷たかった。
朝は、点数を付けなくても郵便受けへ来る。眠りが遅れても、この部屋で一人のまま待っていられると思った。