知らない飛行機に手を振る
二十五歳の平山小雪は、三年間「いつか一人で旅をする」と言っていた。行きたい町の地図を保存し、宿の口コミも読んだ。けれど予約画面まで進むと、同行者がいないことが急に心細くなった。
友人を誘えば日程が合わず、母に話せば「一人は危ない」と言われる。誰かが賛成してくれるまで待つうち、保存した店が閉店し、見たかった祭りも二度過ぎた。旅へ行かない理由だけが詳しくなった。机には、大学時代に買った旅先の絵葉書が一枚ある。そこへ行ったら自分へ送ろうと決め、宛名まで書いたのに、切手は白いままだった。同行者が決まれば投函できると思っているうち、住所を二度書き直した。
空港近くの展望公園で、風見エリがフルートを吹いていた。離陸する飛行機の轟音に旋律は何度も消される。風見は消えた箇所をやり直さず、聞こえるところから先へ進んだ。小雪は、聞き逃した音を惜しむより、続きへ行く姿を見ていた。旅にも、全部を聞いてから出る時機などないのかもしれなかった。それでも風見は吹くのをやめず、音が戻るたび続きをつないだ。
小雪がフェンス越しに機体を見ていると、風見が聞いた。
「行き先を知らない飛行機には、手を振れませんか」
「乗っている人も、こちらを見ていません」
「次の一機が地面を離れるまで、手を振ってみてください」
滑走路へ白い機体が入る。小雪は周囲を見た。子どもたちは平気で腕を振っている。大人の自分だけがするのは気恥ずかしい。飛行機が速度を上げ、風がフェンスを鳴らした。
小雪は片手を上げた。機体が浮いても、約束どおり振り続けた。窓の誰かが見ているかは分からない。行き先も知らない。それでも空へ向かうものを見送る動作は、許可を求めるよりずっと短かった。
帰宅後、会社の休暇申請を開いた。目的欄には〈私用〉、同行者欄は空白でよい。保存していた宿を一つ選び、日付を入力する。母への説明はまだ考えていない。
小雪は二名になっていた予約人数を一名へ直し、そのまま決済ボタンを押した。