硬貨三枚の公衆電話
午前三時ちょうど。停電した町の浄水場で、風間悠吾の携帯電話が鳴った。
「公衆電話だから、硬貨三枚分しか話せない」
皆川汐里だった。二年前、互いの進路を考えるため一年だけ離れ、一年後の同じ日に電話すると約束した人だ。
その日、悠吾は夜明けまで待った。電話は来なかった。画面が明るくなるたび、違う通知だと分かって伏せた。汐里からは〈約束を忘れた人とは戻れない〉という手紙が届き、それきりだった。
「忘れたのは汐里だろ」
「十七回かけた。ずっと〈現在使われておりません〉だった」
悠吾は約束の一か月前、携帯電話を川へ落として番号を変えていた。新しい番号を書いた葉書を送ったが、汐里は同じ時期に寮を出ていた。
「転送届は?」
「実家に戻ると思われたくなくて、出さなかった」
「俺も、共通の友達に聞けばよかった」
「聞いたら、負けた気がした」
硬貨が一枚落ちる音がした。
汐里は駅前の公衆電話にいる。午前三時十分の長距離バスで、町を離れるという。停電でスマートフォンが使えず、今日ようやく友人から聞いた悠吾の番号を、二年前に借りた赤い折り畳み傘の帯へ書いて持ってきた。
「どこへ行く」
「西の町。店を開く」
「帰ってくる?」
「分からない」
二枚目の硬貨が落ちた。浄水場から駅までは、信号が消えた道路で十五分。バスまでは七分。
「今から行く」
「間に合わないよ」
「二年前も、そう決めつけた」
悠吾は夜勤責任者へ交代を頼み、車の鍵をつかんだ。
「傘、返してない」と汐里が言う。
「雨の日に返せばいい」
「今日、降ってないよ」
「次でいい」
三枚目が落ち、通話が切れた。
街灯も信号も消えた道路を、ヘッドライトだけで走った。停電した駅へ着いたのは三時十分だった。バスの尾灯はもう見えない。公衆電話の横に、赤い傘だけが立てかけてある。帯には悠吾の新しい番号と、〈次があるなら連絡して〉の文字。
始発の窓口が開くまで四十分。悠吾は傘を畳まずに持ち、券売機で西の町までの朝一番の乗車券を買った。