磁石の底
郷土資料館で、重要文化財の書状が展示箱から盗まれた。展示箱の鍵は普段、封印された鉄格子の内側、床から五センチの低いフックに掛けられている。格子の封印は切れていないのに、鍵だけが消え、展示箱には正規の鍵で開けた跡があった。
開館前に展示室へいたのは館長の鵜飼、電気技師の藪内、研究者の住吉。廊下の台には二つの携帯コップが置かれていた。鵜飼の陶器製タンブラーと、藪内の黒い金属マグである。住吉は飲み物を持っていない。鵜飼は公開を拒み、住吉は論文の期限に追われ、藪内には古物商への借金があった。
捜索の途中、消えた鍵は階段下のごみ箱から回収された。刑事の荒巻は床へ紙クリップを落とした。
「封印を切らずに鍵へ届く方法は、三つの手掛かりが示します」
一つ目。藪内の金属マグの底は紙クリップを強く吸い付ける。車載ホルダー用の磁石が埋め込まれていた。
二つ目。格子内の埃には、低いフックの真下から扉の隙間まで、弧を描く細い引きずり跡が続いている。
三つ目。回収された鍵の側面には新しい黒いゴムの擦れがあり、マグ底の滑り止めと材質も幅も一致した。
鵜飼の陶器は紙クリップへ何の反応も示さない。黒いマグだけが、飲み物の容器とは別の働きを隠していた。
藪内は首を振った。
「磁石があっても、フックから外せない」
荒巻は格子の外からマグを低いフックへ近づけた。予備鍵が磁力で持ち上がり、フックの先から落ちる。続いて床へ伏せたマグを滑らせると、鍵は埃を切りながら隙間まで引かれてきた。
「底の磁石を格子越しに近づけ、鍵をフックから落とした後、床を滑らせて隙間まで引いた。磁石の存在、埃の軌道、鍵と底に残った同じゴム。この三点が一つの操作を再現します。二つの携帯コップのうち、封印の向こうへ力を届かせられるのは藪内さんのマグだけです」荒巻が予備鍵を隙間から拾うと、藪内は自分の飲み物を受け取ろうとしなかった。書状を持ち出した後に鍵は捨てても、格子の埃に残した軌道と、マグの底に残った接触までは捨てられなかった。