磁石は一個ではない
玩具メーカーの試験室で、神林萌歌は合格印を押す手を止めた。
翌日から産休に入る駒形千夏が、最後に引き継ぐ磁石ブロックの出荷判定だった。床へ落とす試験を十回。割れず、外れず、規格どおり。あとは責任者印だけだった。
十一個目を棚へ戻したとき、萌歌は中で小さく鳴る音を聞いた。振ると、乾いた粒が二つぶつかる。外側に傷はない。
千夏は「接着剤の欠片かも」と言った。出荷部長は、規定回数を終えた製品を追加で壊す必要はないと主張した。発売日は週末。広告も店頭も動いている。
萌歌は一個を切開した。円柱の磁石が中央で割れ、二つの小片になっていた。外装が破れれば、子どもが飲み込める大きさになる。重量測定では変化が出ず、外観検査でも分からない。
同じ製品をもう三個切開すると、二個で磁石に細い亀裂が入っていた。接着剤の硬化温度が高すぎ、衝撃が中央へ集中している。萌歌は製造記録の温度を下げる試作も依頼し、検査だけで不良を拾い続ける方法を選ばなかった。設計担当にも断面写真を送り、磁石を一体で固定できる形状への変更と再試作、再検査を求めた。期限より安全を先に置いた。
彼女はロットの出荷を止め、落下後に音と画像を確認する工程を追加した。新人試験員が「私、十回で終わりだと思って」と謝ると、萌歌は切開した断面を見せた。
「手順どおりだった。だから、手順を直すのは私たちの仕事」
千夏はロッカーから小型の聴診器を出した。以前から音で不良を選び、記録せず再試験していたという。
「数字にしにくくて、私だけ分かればいいと思ってた」
部長は萌歌へ、千夏の名義で合格印を押し、後から報告するよう求めた。代理者の正式任命はまだ出ていない。
萌歌は印鑑を返し、非破壊画像検査と抜取切開を含む改訂手順を提出した。さらに、停止権限を持つ製品安全責任者としての任命書を求めた。
修正版の任命書が届くまで、出荷欄は空白のままにした。届いた文面を確認し、自分の印で〈不合格〉を確定した。