社用車の助手席

駅まで十分。菅原朋也は社用車の助手席で、膝の上に小さな段ボールを抱えていた。明日から金沢営業所へ転勤する。運転している井川穂乃香とは、昨日まで同じチームだった。

車内には、二人で使った短い音声ケーブルが残っている。出張のたび、穂乃香の携帯をつなぎ、朋也が曲を選んだ。付き合っていることを誰にも言えない車内だけが、二人の部屋だった。赤信号の短い時間だけ手をつなぎ、青になる前に離す。走行記録には距離と燃料しか残らず、沈黙の長さはどこにも記録されなかった。

「駅前でいい?」

「時間ないから、ロータリーで」

先月、棚卸しの数字が合わず、穂乃香の入力ミスが疑われた。調査の翌日、朋也の転勤が決まった。穂乃香は、彼が自分の名前を出して逃げたと思っている。

「金沢、希望してたんだってね」

「人が足りないとは聞いてた」

「私のミスを話した?」

「話した」

赤信号で車が止まる。穂乃香の指がハンドルを強く握った。

「最低」

「そうだな」

本当は、入力を急がせたのは朋也だった。承認も確認も自分がした。穂乃香を処分対象から外す代わりに、欠員のある営業所へ移ると申し出た。だが彼女には「会社の判断」とだけ伝えるつもりだった。

駅前まで残り三分。朋也は音声ケーブルを抜き、ダッシュボードへ置いた。

その瞬間、車のBluetoothが着信を拾った。部長の声がスピーカーから流れる。

〈菅原、本人にはもう説明したか? 井川を守るために異動を志願した件だ。監査が終わったから、黙っておく必要は――〉

朋也が切るより、穂乃香が先にブレーキを踏んだ。後続車のクラクションが鳴る。

「どうして言わなかったの」

「君が自分を責めるから」

「責める相手を、あなたにしたままで?」

駅の発車ベルが遠くに聞こえた。

朋也は段ボールを抱え、車を降りた。「そのほうが、離れやすいと思った」

穂乃香は追わなかった。朋也が改札へ消えたあと、会社へ戻る。車両管理簿の返却欄に署名し、キーをラックへ掛けた。

音声ケーブルだけは、助手席から外して自分の鞄へ入れた。次の出張で聴く相手は、まだ決めなかった。