空いっぱいの洪水を一杯汲む

水汲みガンズは、魔法水道ができてから無用の老人と呼ばれた。

井戸から桶を上げ、宿や浴場へ運ぶ仕事を四十年続けたが、蛇口をひねれば水が出る時代に人力はいらない。役所は給水組合を解散し、彼の古い桶まで廃棄品にした。

技能も、せいぜい一桶ぶんの水しか動かせない。

【職業技能《一杯汲み》:水で満ちた容器一つから、その中身を一杯ぶん汲み出す。】

海神が怒った日、王都は透明な水の檻へ閉じ込められた。

空を覆う半球結界の内側へ、海水が滝のように注ぎ続ける。城壁が器の縁となり、街全体が巨大な鉢になっていた。水位は二階の窓を越え、あと十分で鐘楼まで沈む。

宮廷魔術師は結界を割ろうとしたが、割れば外海が一度に流れ込み、全員が押し潰される。王は一人乗りの飛行艇へ逃げ、子どもを押しのけた。

ガンズは屋根の上で、廃棄された桶を拾った。

若い役人が叫ぶ。

「一杯汲んで何になる! ここには海一つ分あるんだぞ!」

老人は技能文を思い出した。

“一杯”とは、小さな杯一つという意味だけではない。

容器に水がいっぱい入っていることも、一杯という。

今の王都は、結界と城壁でできた一つの容器だ。そして中身は、まさに一杯まで満ちようとしている。

ガンズは桶を水面へ沈めた。

「では、この器から一杯ぶんいただこう」

桶を持ち上げる。

中には普通の水が一桶しか見えない。だが王都の水位が、桶の縁と同じ速度で下がり始めた。屋根が現れ、二階が現れ、石畳まで一気に水が引く。

空の結界内にあった全海水が、一つの“満杯”として桶へ汲み取られたのだ。

ガンズは城壁の外へ歩き、乾ききった荒野へ桶を傾けた。細い水筋が落ちると、遠方まで新しい大河が走り、海神の怒りは灌漑水へ変わった。

役人たちは濡れた石畳で頭を下げる。

ガンズは空の桶を肩へ担いだ。

「明日からの水代は、少し上げるぞ」

新しい大河の岸では、荒野の村人が乾いた井戸桶を掲げて歓声を上げた。王都を沈めるはずの水が、来年の麦を育てる。飛行艇で戻った王は海神を退けた功績を語ろうとしたが、船着き場には未払い水道料金の請求書が先に届いていた。

【職業《水汲み》が上位職《天海汲上神》へ書き換わりました。】