空欄の祖先
紀平大河は、自治体から家系資料のデジタル化を請け負う会社に勤めていた。二十八歳。最初の担当が偶然、自分の実家から寄贈された紀平家系図だった。
巻物の末尾には、父の字で一つの禁忌が書かれている。
《家系図の空欄に、推測で名前を書いてはいけない》
明治二十四年の当主欄だけ四角く切り抜かれ、妻と子の線が空中から伸びている。父は、名のない者は家へ入れないから空欄のままにすると説明した。
巻物の裏には、過去に空欄を埋めた筆跡が薄く残っていた。書かれた名はすべて家系図の別の場所へ移り、代わりに記入者の名が消えている。訂正印だけは、まだ生まれていない大河の指紋と一致した。
入力システムは空欄をエラーとして受け付けなかった。画面右端の自動補完欄では、まだ文字を打っていないのに《父》《作成者》《代わり》という候補が点滅していた。納期が迫り、仮の文字列でも埋める必要がある。大河は地域で多い名を組み合わせ、一度だけ「紀平宗一」と入力した。後で《不詳》へ直すつもりだった。
保存直後、検索結果が千件以上現れた。宗一名義の土地台帳、卒業写真、徴兵記録。どれも数秒前までは存在せず、顔写真だけが大河に似ていた。家系図の切り抜かれた部分も復元され、墨の濡れた字で「宗一」と書かれている。
父へ確認すると、「宗一はお前の父親だろう」と答えた。大河の戸籍でも父の名前が宗一へ変わり、生年は明治二十四年。現在の父は続柄欄から消えていた。
入力を削除しようとすると、宗一のアカウントから編集申請が来た。
《作成者を子として追加》
拒否しても、DNA家系サイトが親子一致率一〇〇%を通知した。大河の顔写真は宗一の幼少期として各資料へ貼られ始めた。
深夜、社内チャットに新規ユーザーが参加した。プロフィール作成日は明治二十四年。宗一から一行だけ届く。
《名前をくれてありがとう。次はお前の空欄を埋める》
翌朝、人事システムで大河の氏名欄が白くなっていた。カーソルを置くと、入力候補に《紀平家次男》《未命名》《宗一の子》しか出ない。
スマートフォンの予測変換は、大河が自分の名を打つたび、日常的な訂正表示を出した。
《その人物は存在しません》