空試験の濁り
環境分析室の午後、藤堂茉莉は小学校の水道水から基準を超える金属が出たという結果を見た。
再検査を待つ時間はない。速報を出せば、学校は翌朝から水を止める。給食調理も手洗いもできず、保護者には登校を控える連絡が回る。安全のための一報でも、誤りなら一校の一日を丸ごと変える。後輩は報告書へ赤い警告を入れ、送信先の学校名まで入力していた。あとは確定を押すだけだった。
茉莉は測定値の横にある空試験を見た。水を入れず、薬品だけで測る確認用の容器にも、同じ金属が出ている。学校の担当者は電話口で結果を待っており、速報一つで給食や手洗いの手順まで変わる。
「学校の水じゃなくて、検査側に混ざった可能性がある」
後輩は顔色を変えた。午前中、容器を洗浄したのは自分だという。茉莉は責めず、使用した薬品のロットと洗浄記録を確認した。新しい酸のボトルだけ、注ぎ口の金属キャップが傷んでいる。そこから微量に混入したらしい。後輩の洗浄ではなく、備品選定の段階で入り込んだ原因だった。
上司は、学校の結果だけ先に報告し、空試験は後で訂正すればいいと言った。安全側に倒すなら問題ない、と。
「安全側に見えても、原因がこちらなら、学校へ誤った不安を渡します」
茉莉は学校へ、確認中なので使用停止の判断はまだしないでほしいと伝え、速報を保留した。別ロットの薬品と樹脂製キャップで測り直した。測定器を洗う間、後輩には同じ日のほかの試料も一覧にしてもらう。空試験は検出なし。学校の水も範囲内へ戻った。後輩には、洗い方ではなく、空試験を本試料より先に確認する順番へ変えてもらった。
「最初に空を見れば、あなたが一人で疑われることもない」
茉莉は報告書へ、初回結果を隠さず、混入原因と再測定の記録を添えた。学校には、設備異常ではなかったことを説明する。
来週から茉莉は、現地で土壌や水を採る調査会社へ移る。白い実験室を出る不安はあった。けれど数字が生まれる場所まで見に行きたい。
上司から渡された昇給付きの残留案を机へ置き、転職先の初月予定を開く。現場判断で再採取できる調査には、まだ担当者が決まっていない。
茉莉はその欄へ自分の名を入れ、参加を確定した。
濁っていたのは水ではなく、確認の順番だった。