背中の紋をほどく
騎士ゼフィールの忠誠は、外套の背に刺繍されていた。
金糸の鷹はただの家紋ではない。
一針ごとに皮膚まで貫き、所有者が外套を引けば、騎士の身体も同じ方向へ動く。
仕立師ビアンカへ届いた注文は、古い鷹をほどき、新領主の狼へ縫い替えることだった。
「上手に仕上げれば、騎士も褒美にやる」
新領主は採寸台の横で笑う。
「無口で従順。店の用心棒にちょうどいいだろう」
ゼフィールは外套を脱げない。
布と背中が呪いで一体化しているからだ。
ビアンカは鋏を置き、細い糸切りを手にした。
「狼の型紙は?」
「使いません」
「では何を縫う」
「何も」
最初の一針を切る。
ゼフィールの背から血がにじむ。
金糸を乱暴に引けば、皮膚も肉も裂ける。
糸の下には、以前の熊や塔の紋をほどいた古傷もあった。主人が変わるたび、痛みだけが重ね縫いされてきたのだ。
ビアンカは鷹の羽根を一本ずつ、結び目だけを探してほどいた。
「私の紋へ変えれば痛みは少ない」
彼女が説明すると、ゼフィールはうつ伏せのまま答えた。
「それを勧めるのか」
「いいえ。痛みが強くなるから、途中でやめたいなら言って」
「……続けてくれ。命令ではなく頼む」
夜までかかった。
最後は鷹の目だった。新領主が止めようと腕をつかむが、ビアンカは糸切りを滑らせる。
金糸が床へ落ちた。
ゼフィールの背には無数の針跡だけが残り、どの家紋もない。
彼は店の扉を開け、白い下着姿のまま通りへ出た。
「外套くらい持っていって」
「借りれば、返す理由ができる」
「返さなくていい」
「なら、なおさら受け取れない」
彼は笑ったように見え、そのまま去った。
三日後、店の戸口に長い影が立つ。
ゼフィールは自分で選んだ深緑の布と、代金の銀貨を持っていた。
「外套を一着。家紋はいらない」
「飾りも?」
「内側の襟に、俺の名前を縫ってほしい。外から誰にも引けない場所へ」
採寸を終えると、彼は剣を入口の傘立てへ置いた。
「完成まで、この店を守る仕事も請けたい」
「誰の命令で?」
「俺が、ここへ戻りたかった」
ビアンカの針が、見えない内側へ最初の一文字を縫い始めた。