英雄の後遺症

四宮斐は、勇気を買った。

彼は火災警報が鳴っても机の下で動けず、会議では反対意見を言えない男だった。十年前、隣室の老人の部屋から煙が出たときも、扉の前まで行きながら逃げた。老人は助かったが、斐は自分の臆病さを毎日思い出した。

昇進審査を前に、英雄体験パックを購入した。地下鉄事故で三人を救った消防士の記憶だった。恐怖を越えた瞬間を移植すれば、人格の癖まで矯正できると販売AIは保証した。

再生後、斐の身体は変わった。危険を見ると頭より先に足が動く。駅で倒れた人へ駆け寄り、職場の不正を上司へ報告した。周囲は「別人のようだ」と称賛し、彼自身もようやく本当の自分になれたと思った。

だが、夜になると四人目の顔が現れた。

英雄記憶の商品説明では三人救助となっていた。実際には、消防士は煙の奥にもう一人いると知りながら、崩落を恐れて戻れなかった。販売時、その場面だけが成功率を下げるとして編集されていた。

斐は見知らぬ少年の「待って」という声で眠れなくなった。消防士の罪悪感まで移植されたのか、自分が見捨てたように胸が痛んだ。

販売会社は不良データとして返金を提案した。ただし記憶を消せば、救った三人の体験も、斐が得た勇気も失われる。

斐は消防士を探した。男はすでに自死していた。遺族は、彼が英雄と呼ばれるたび苦しんでいたと話した。少年の母だけは、今も真相を知らなかった。

斐は迷った末、編集前の記憶を彼女へ渡した。母は再生後、彼の頬を打った。

「あなたが謝ることじゃない」

「でも、忘れられません」

「忘れないことと、代わりに罰を受けることは違う」

斐は返却処置を受けなかった。昇進もしなかった。不正を告発したため会社を辞め、災害時の避難支援員になった。

訓練では、救えない人数を必ず数えた。英雄になれと教えず、怖ければ二人で行けと教えた。

借りた勇気は、彼を強い人間にはしなかった。誰か一人の決断へ英雄という重荷を押しつけない人間に変えた。