貢ぎ物ではない人
ネイロは、魔界へ「貢ぎ物」として送られた人間の王子だった。
宝石箱と同じ馬車に載せられ、首には値札まで下げられていた。
魔王ベルゼルは最初にその札を引き裂いた。
「名は」
「ネイロです」
「では、そう呼ぶ」
それ以来、城で彼を貢ぎ物と呼んだ者は地下牢へ送られた。ベルゼルは最強の魔王で、反逆者には情けをかけない。けれどネイロが硬いパンの耳を残すことだけは覚え、朝食には柔らかい中央部分を多く切らせた。
「子ども扱いですか」
「顎が痛むのだろう」
古い拷問で顎を傷めたことを、ネイロが話したのは一度きりだった。
半年後、人間王国の使節が来た。
「和平条件が変わりました。貢ぎ物を返還していただきたい」
ネイロの兄である新王は、彼を取り戻すことで慈悲深さを示したいらしい。
ベルゼルの目が冷える。
「その呼び方をやめろ」
「では王弟殿下を。我が国へお返しください」
使節はネイロを見ず、帰還契約を広げた。
「あなたの意思は必要ありません。王族には国へ戻る義務がある」
ネイロはパンを置いた。
「戻りません」
使節が笑う。
「魔王に心を奪われたのだ。保護して差し上げる」
「違う。私はここで、自分の名を呼ばれて暮らしたい」
「陛下」と使節はベルゼルへ向く。「あなたも彼をお望みなら、所有権を正式に譲渡しましょう」
大広間の柱が音を立てて割れた。
「所有権?」
魔王の声に、使節団全員が床へ膝をつく。
ベルゼルはネイロへ近づいたが、帰還契約には触れさせなかった。
「おまえが帰りたいなら、余は国境まで送る。残りたいなら残れる。今日はどちらだ」
「残ります」
「明日は変えてもいい」
ネイロは初めて笑った。
使節はなお、「魔王の命令で言わされている」と主張した。
ベルゼルは帰還契約をネイロへ差し出す。
「破るか、持っておくか、署名するか。おまえが決めろ」
ネイロは自分の手で契約を二つに裂いた。
その音を聞いてから、魔王は布告した。
「ネイロは貢ぎ物ではない。余の所有物でもない。本人が残ると選んだ客人だ」
使節たちへ向けた目だけが、絶対零度だった。
「次に彼の意思を省いた契約を持ち込めば、国ごと返却する」