赤いカーテンの向こう
大事なプレゼンの日、澪奈のブラウスの袖口がほつれた。鞄の内ポケットから安全ピンを出す。赤い塗料が少し付いた、古い一本だった。
高校の文化祭で、教室を劇場にした。赤い布を何枚もつなぎ、窓側を舞台にした。澪奈は主役ではなかったが、物語を動かす長い台詞を任されていた。
本番、客席を見た瞬間に頭が白くなった。息だけが喉へ引っかかり、最初の一語が出ない。舞台袖の音羽が、小道具を動かすふりをして台詞の冒頭を囁いた。照明係が一段暗くし、相手役が予定にない動作で間をつないだ。澪奈はその見えない橋を一つずつ渡り、最後まで演じた。
拍手はもらった。終演後、クラスメイトは『止まったように見えなかった』と笑った。澪奈も笑い返したが、成功の中に自分の失敗だけが鋭く残った。けれど閉会後、澪奈は教室の赤いカーテンの裏に隠れた。成功したとは思えなかった。誰かの声がなければ、一歩も進めなかった自分が恥ずかしかった。
音羽は慰めなかった。黙ってカーテンを外し始めた。布の継ぎ目には、何十本もの安全ピンが使われている。
「客席から見えなかったでしょ」
一本を抜き、澪奈に渡した。
「見えないものに支えられてるの、舞台だけじゃないよ」
二人で布をたたむため、澪奈はカーテンの裏から出た。客のいない舞台は、失敗を責める場所ではなく、ただの教室へ戻っていた。
十年後、澪奈は安全ピンで袖口を留めた。鏡の前で、話す順番を何度も確認する。担当役員の前では言葉が速くなり、質問されると頭が白くなる癖は今もある。昨日は発表役を代わってもらうメールまで書いたが、送れずに下書きへ残していた。今回の資料も、同僚の確認や後輩の集計に支えられている。一人で完璧に話せないことは、壇上へ立つ資格がない理由ではない。
会議室の扉が開く。澪奈は発表用のカードを持ち直した。
最初の一語の前で、今も心臓は速くなる。それでも、赤いカーテンの向こうへ隠れる代わりに、支えてくれた人の名を最初のスライドへ映した。
そして、自分の声で話し始めた。