逆さ標識
道路標識調査員の端末には、閉鎖された石代隧道について古い作業指示が残っている。
《坑内で逆さになった「出口」標識を直してはいけない》
旗生哲平は二十六歳。位置情報データ更新のため、レーザー測量器を背負って入った。入口から三百メートル、壁に「出口」と書かれた緑の標識が逆さに取り付けられていた。
端末の画像認識が警告する。
《標識方向エラー。是正してください》
現場規則と機械の指示が矛盾した。哲平は迷った末、作業評価を下げたくないという理由で、標識を一度だけ百八十度回した。
正しい向きになった瞬間、矢印が壁の中を指した。
測量器の地図が自動更新され、トンネルの出口が消えた。代わりに、哲平の自宅住所が坑道の延長線上へ表示された。
彼は標識を戻さず、そのまま来た道を引き返した。入口は開いていたが、外に出ると端末の現在地は《石代隧道・坑内》のままだった。
翌日、会社の地理情報システムに修正依頼を送った。
件名:位置ずれ
内容:自宅がトンネルとして登録されています
数分後、道路管理AIから回答が届いた。
《位置ずれはありません》
《出口標識の向きに基づき、代替出口を設定しました》
添付図面には、哲平のアパートの廊下がトンネルとして描かれている。玄関が入口、寝室の窓が出口。住民はすべて《通行者》と分類されていた。
哲平は上司へ電話したが、「旗生という社員は登録されていない」と言われた。社員証アプリを開くと、所属欄が《道路附属物》に変わっている。
帰宅すると、建物入口の館銘板が緑色の「出口」標識に替わっていた。矢印は哲平の部屋を指している。住民用掲示板には《本日より通り抜け可能》という自治体名義の紙が貼られ、彼の部屋番号だけが太字になっていた。
その夜、自治体の道路通報アプリから新しい作業依頼が届いた。
《逆さ標識の復旧を確認しました》
《代替出口の供用を開始します》
《通行可能時間:終日》
《管理番号:旗生哲平》
廊下で車の走行音が近づいた。
スマートフォンのナビは、いつもの到着音で告げた。
《目的地に到着しました。出口は室内です》