酸っぱい中央

星野佳乃の机に、同僚が焼いたレモンケーキが置かれていた。

長方形の中央だけ、白いアイシングが厚く溜まっている。皮の白い部分まで削ったらしく、レモンの匂いは鋭く、中央をひと口食べると酸味と苦みが一度に広がった。生地の端は乾いて崩れやすかった。

箱には、〈この前はごめん〉と書かれた付箋がある。

先月の企画会議で、佳乃が半年かけて集めた調査資料を、同僚は自分の提案として発表した。二人で進めていた案件だったから、完全な嘘ではない。けれど資料を作った人の欄から佳乃の名前は消え、その企画で同僚の昇進が決まった。会議のあと、「説明する時間がなかった」と言われ、佳乃は次の資料も二人分作った。仕事を止めるほうが周囲へ迷惑だと思ったからだ。

部長は事情を知っている。明日まで黙っていれば、次の案件を佳乃の単独担当にすると言われた。波風を立てなければ、自分にも順番が来る。その提案を受けた瞬間、悔しさより安堵が先に来た。名前を取り戻すより、新しい名前欄をもらうほうが簡単だった。

けれど、同じチームの後輩は企画縮小を理由に契約を切られた。佳乃の調査を手伝った人だった。黙って次へ進めば、その人の作業まで同僚一人の実績になる。

同僚は謝りながらも、昇進を辞退するとは言わなかった。佳乃も訂正を求めなかった。仲のよい女性同士が争えば、感情的だと言われるのを二人とも知っていた。

佳乃はケーキを端から薄く切った。乾いた部分だけを食べ、酸っぱい中央には触れない。二切れ、三切れと外側を削ると、中央の白い帯だけが細長く残った。

引き出しから、企画書の修正履歴を印刷した紙を出す。佳乃の名前と作業時刻が並んでいる。紙を折り、残した中央の下へ挟んだ。

同僚が席へ戻り、箱の中を見た。

「口に合わなかった?」

佳乃は最後の端を一口だけ残し、箱の蓋を閉じなかった。

「中央が、濃すぎる」

それ以上は言わず、修正履歴のコピーを部長の机へ持っていった。

戻ると、同僚はケーキにも紙にも触れていなかった。佳乃は残した端を食べず、自分の名札の横へ置いた。部長の机には、修正履歴とともに、後輩の作業記録も重ねてきた。

同僚が小さく「昇進、なくなるかも」と言った。佳乃は答えなかった。なくなる可能性を聞かされて、また相手を慰める役へ戻らないためだった。

酸っぱい部分を相手へ食べさせたいわけではない。ただ、自分が外側だけを受け取って黙る関係を、きれいな箱へ戻さないためだった。

夕方、箱は開いたまま同僚の机へ戻された。中央も端も残っている。誰がどこを作ったか見える状態で、翌朝の会議を迎えればよかった。