青玉の王手

王帳の盤上で、青玉の騎馬が黒王へ迫っていた。

シャー・ダリヤーンは駒を指で弾いた。

「この一手で北騎兵を退かせる。敵が追えば、砂丘の裏から近衛を出す」

軍議では地図を使わない。敵の間者に盗まれても分からぬよう、盤の駒で陣形を示す。青玉の騎馬は北騎兵三千。黒王は敵将ではなく、ダリヤーン自身だった。

軍務卿ファリド・サーヴァンは盤へ手を伸ばした。

「退却命令を入れます」

騎馬駒の胴は空洞で、底が外れる。中へ細紙を巻き、旗手へ運ばせるのが王軍の習いだった。敵に奪われても、ただの遊戯具に見える。

ダリヤーンが口述する。

「北騎兵は第三刻に東へ退け。追撃軍を赤砂丘へ誘え。退く村人は斬り、道を空けよ」

ファリドは筆を走らせた。

赤砂丘の東には、遊牧民の冬営地がある。王は敵軍ごと焼くつもりだった。ファリドの母の部族も、そこに天幕を張っている。

「書けたか」

「はい」

実際に書いた文は違う。

――第三刻、黒王へ馬首を向けよ。白旗の軍とは戦うな。

白旗は敵将シーラーンのものだ。三日前、ファリドは塩商人を通じて約定した。北騎兵が王を包囲すれば、冬営地には手を出さない。ダリヤーンを生かすかどうかは、条件に入れなかった。

ファリドは細紙を駒へ入れ、底を閉じた。

「盤を戻せ」と王が言った。

彼は青玉の騎馬を、東へ三升動かした。表向きは退却の形だ。

ダリヤーンが笑う。

「敵は勝ったと思うだろう」

「勝った者ほど、盤全体を見ません」

「何か言ったか」

「いえ」

王の小姓が駒を銀盆へ載せ、北陣へ走る。帳外では、夜明けの祈りを告げる声が上がった。

ファリドは盤上の黒王を見た。周囲には味方の駒しかない。だから王は安全だと思っている。味方の駒が色を変える可能性を、盤は教えない。

「ファリド」と王が言う。「戦が終われば、おまえを東方総督にする」

「光栄です」

「母の部族にも、よい土地を与えよう」

「すでに頂きました。墓地を」

王の笑みが消えた。

遠く北陣で、青玉の騎馬から命令が取り出された。一本、二本、三本と黒い軍旗が上がる。

ただし旗の正面は敵ではない。

角笛が長く鳴り、北騎兵三千が黒王の陣へ向けて一斉に馬首を返した。