馬の遅い迎え
娘の結婚式の日、父は家で礼服を脱いだ。
招待状は届いている。
だが十年前、娘の進路を否定し、
「勝手にしろ」
と言って以来、必要な連絡しか取っていない。
式へ行けば、今さら父親の席へ座るのかと思われる気がした。
窓の外で蹄の音がした。
玄関には、古い馬車と灰色の髪の御者が待っている。
若い頃、父は牧場の作業員だった。
脚を痛めて処分されそうな馬を引き取り、余生を世話した。
その馬が人の姿で来たという。
「先延ばしにした一言を口にするたび、次の交差点まで進めます」
馬車は動き出し、最初の角で止まった。
父は黙る。
御者も待つ。
「進路を反対したのは、失敗するのが怖かった」
馬車が一つ進む。
次の角。
「娘がではなく、私が恥をかくのが怖かった」
また進む。
父は、娘へ直接言わず、空の座席へ話すのが情けなくなった。
御者は前を向いたまま、
「馬も、背中へ乗った人の顔は見ません」
と言う。
三つ目。
「謝れば許されると思って、謝らなかった」
四つ目。
「孫が生まれたと聞いて、会いたかった」
五つ目。
「呼ばれなかったのではなく、呼ばれても行けない自分でいたかった」
式場まで、まだ遠い。
父は娘へ電話した。
式の直前で出ない。
留守番電話へ、
「今、向かっている。父親の席が嫌なら後ろに座る。来てほしくなかったなら帰る。まず、遅くなってごめん」
と残した。
馬車が一気に三つの交差点を進んだ。
式場近くで、娘から返信が来た。
「席は用意してあります。入場には間に合いません。乾杯には間に合って」
父は御者へ、
「急げるか」
と尋ねた。
「言葉を使い切れば」
最後に残していた一言を考える。
愛している、ではきれいすぎる。
祝福している、も今さらだった。
「娘の選んだ家族を、私の家族として教えてほしい」
馬車が地面を離れるほど速く走った。
乾杯の直前、父は会場へ入った。
娘は礼服の袖を見て、
「しわだらけ」
と最初に言った。
「一度脱いだ」
「来ないつもりだった?」
「うん」
「来てよかった?」
「まだ緊張してる」
娘は小さく笑い、父の席を指した。
式後、馬車は消えていた。
灰色の毛が一本、靴へ付いている。
父と娘の十年は一日で埋まらない。
孫へ会う日時も、互いの距離も少しずつ決めた。
ただ、先延ばしの一言で止まるたび、自分の口で次の交差点まで進むようになった。