駅前広告の小さな名前
立花乃亜は、会社の窓から駅前の大型広告を毎日見ていた。
その枠に一週間だけ、アイドルグループ〈Kaleido〉の累の誕生日広告が出る。白い衣装の累がビル三階分の高さで笑い、足元にはファンからの短い祝福が星のように散っていた。ファン有志で費用を出し合い、乃亜も〈夜更けのミルク〉という名で参加した。広告の下端には、協力者の名前が小さく並ぶ。デザイン案への投票、駅への申請、誤字の確認。見知らぬ人たちと夜中まで連絡を取り合った一か月は、職場のどのプロジェクトより小さく、それでも同じくらい真剣だった。
掲出初日の昼、同僚たちが窓際に集まった。
「ファンって、広告まで出すんだ。すごい世界」
「夜更けのミルクって名前、立花さんのマグカップに書いてなかった?」
誰かが気づいた。乃亜の机には、同じ文字を印刷した自作のマグカップがある。否定しようと思えばできた。偶然です、と笑えば、いつもの無難な乃亜に戻れる。
そのとき、役員の友成芙美が窓の外を見上げた。
「私は昔、名もない劇団の公演に毎月花を出してた。好きな人たちが場所を買って、ここにいるって伝えるんでしょう」
誰も笑わなくなった。乃亜は友成に救われたと思ったが、友成は乃亜の代わりに秘密を言わなかった。ただ、言っても壊れない空気を作っただけだった。
「私です」
乃亜は窓際へ進んだ。
「夜更けのミルク。累の誕生日広告に参加しました」
質問がいくつか飛んだ。費用はいくら、本人は見るのか、なぜその名前なのか。答えたくないことには「そこは内緒」と言い、話したいことだけ話した。
昼休み、乃亜は会社の外へ出た。広告を正面から撮るため、スマートフォンを構える。首には社員証が下がったままだった。以前なら外しただろう。
画面の中には、大きな累の笑顔と、豆粒ほどの〈夜更けのミルク〉、その手前に社員証を付けた乃亜の影が映る。
乃亜は影を避けずにシャッターを切った。二つの名前が、同じ一枚に収まった。