骨に聞こえる声
小田切更紗は、恐竜の骨を描くのが好きだった。子どもの頃ではない。二十六歳になった今も、会議資料の余白に肋骨や尾を描く。けれど美術大学を落ちた年から、人に見せる絵は一枚も増えていない。
予備校の講師に「線が迷っている」と言われたことを、更紗は今も覚えている。迷わない線を引こうとするほど、紙は白いままになった。会社では資料の図解を褒められる。それを絵と呼ばれないことに安堵し、少しだけ傷つく日々だった。
会社帰り、閉館間際の自然史博物館へ入った。招待券の期限が今日までだったからだ。巨大な恐竜骨格の下は空いていて、更紗の靴音だけが響いた。
音声案内の端末を借りていないのに、頭上から声がした。
「滅びなかったものを、一つ言ってください」
見上げると、長い顎の骨が照明の中に浮かんでいる。館内放送かと思ったが、声は続けた。
「骨に聞こえる声で。小さくて構いません」
更紗は笑いそうになった。恐竜に聞かせる答えなどない。夢は滅びた、と言えば格好がつく。でも、毎日描いている線は、滅びたものの動きではなかった。会議のたびに増える骨は、捨てた夢の化石ではなく、まだ手が覚えている運動だった。
警備員が遠くの展示室を閉めている。あと数分でここも暗くなる。
更紗は骨格の真下へ一歩寄った。
「描きたい」
声は天井まで届かず、自分の耳へ戻ってきた。それで課題は終わったらしい。恐竜は何も褒めず、何も保証しない。
出口へ向かう途中、壁に若手向けイラスト公募のポスターがあった。応募締切は今夜。テーマは〈残ったもの〉。偶然すぎて、かえって逃げ道がなかった。
ロビーのベンチでスマートフォンを開く。応募欄には作品画像が必要だ。更紗は鞄から手帳を出し、今日の会議中に描いた骨格を撮った。紙の端には売上数字が残り、消しゴムの跡も白く光っている。
整えてから出す、という考えが浮かぶ。その言葉は何年も更紗を守り、同じ場所へ置いてきた。
更紗は画像を切り抜かずに添付した。題名の欄へ〈まだ歩く骨〉と入力し、閉館の照明が消える直前、応募ボタンを押した。