鳩の夜更かし、唐揚げマヨ丼

 門脇冴子が漫画家の仕事場を出たとき、空はもう翌日の色をしていた。

 締切には間に合った。背景もベタも、指定された頁まで終えた。ただ、先生が最後に描き足した小さな猫の表情があまりに上手く、自分が十時間描いた窓や机は、誰の記憶にも残らない気がした。

 アパートのベランダには、一羽の鳩がいた。片方の羽に銀色の模様があるので、冴子は銀貨と呼んでいる。餌はやらない。それでも締切前の明かりを覚えたのか、ときどき夜明けまで手すりにいる。

「あなたもアシスタント?」

 銀貨は首を一度前後させた。

 冷凍庫から唐揚げを四個出し、電子レンジのあとトースターで焼いた。丼へごはんを盛り、刻み海苔、唐揚げ、温泉卵。マヨネーズを格子状にかけ、甘辛い焼肉のたれを少し。仕上げに白胡麻を振る。

 にんにくと油、炙れた海苔の匂いが立ち、冴子の腹が正直に鳴った。

 唐揚げを割ると、衣の中から熱い肉汁が出た。卵とマヨネーズを絡めたごはんは重く、眠気まで押し返す。

 冴子は仕事場でもらった掲載誌を開いた。自分が描いた窓は、人物の後ろで半分隠れている。それでも窓がなければ、部屋ではなく白い空間になってしまう。

「背景って、見えないくらいが成功なんだよね」

 銀貨は羽繕いを始めた。見ていないらしい。

 冴子は空いた紙の端へ、丼を食べる鳩を三十秒で描いた。線は荒く、羽の模様も適当。それでも誰の指示でもない絵は、今日一番、自分のものだった。

 それを冷蔵庫へ貼り、残った唐揚げ一個は朝用に包む。

 明るくなり始めると、銀貨は手すりから飛び立った。冴子もカーテンを閉める。

 部屋には揚げ油と甘いたれの匂いが残り、机の上では、雑な鳩が丼を抱えて笑っていた。誰にも見えない線にも、自分だけが覚えていればいい夜がある。

 冷蔵庫の扉を閉めるたび、紙の鳩が小さく揺れた。冴子は次の締切で疲れたら、また一枚だけ自分の絵を描こうと思う。口元には甘いたれの匂いが残り、外では本物の羽音が静かに朝へ溶けた。