四百二十九号室
鈴ヶ峰ホテルズの夜間監査員、名越冬弦は、午前一時の決算会議へオンラインで参加した。
年度末の特別団体客によって、本館は満室。宿泊売上一億八千万円が追加計上され、会社は融資条件を守れる見込みだと説明された。
「宿泊者名簿もあります」
経理役員が千人分の一覧を画面に出した。
冬弦は一覧を下へ送り、四百二十九号室で止めた。本館の客室番号は、清掃員よりも夜間監査員の方がよく知っている。鍵の閉じ込み、騒音、急病。番号を聞けば、エレベーターから何歩かまで頭に浮かぶ。四百二十九だけは、どこにも続く廊下がなかった。
「本館に四百二十九号室はありません」
経理役員は即答した。
「団体用の仮番号だ」
「客室番号の列です。四百二十八の次に四百二十九、その後も五百、六百と続いています」
本館は四百二十八室しかない。別館は改装中で閉鎖され、消防設備の都合で誰も泊められない。
名簿には、存在しない四百二十九号室の宿泊者がミニバーを利用し、朝食券を二枚受け取った記録まで付いていた。数字は部屋だけでなく、サービスまで作り込まれていた。
「名簿作成者が通し番号を入れただけだ」
「では、鍵の発行記録は?」
冬弦は夜間システムを共有した。三月三十一日に発行された客室鍵は百二十八枚。通常客の分だけだった。特別団体の鍵は一枚もない。
営業役員が「団体は鍵を代表者管理にした」と言った。
「代表者用の鍵もありません」
「先払いだから、宿泊実績がなくても売上だ」
「契約では、実際の宿泊数で精算します」
冬弦は団体契約書を開いた。しかも署名欄は空白だった。決裁資料の署名は、別の宴会契約から切り取られた画像で、日付の書体まで一致していた。
社長が苛立って聞いた。
「なぜ一室の番号から、そこまで調べた」
「四百二十九号室のお客様から、夜中に電話が来たことは一度もないからです」
会議室で誰かが咳をした。
監査役は一億八千万円の行を選び、宿泊売上から仮受金へ戻した。画面の利益表示が赤字へ変わる。
「存在しない部屋の売上は承認できない」
議長が決裁を停止した。