じゃこ天の焦げ目

 千葉光貴が「凪声」へ入ると、店主はじゃこ天を網へ載せた。

「黒い点が出るまで焼くんだったな」

 光貴は愛媛を出てきた最初の冬、この店で故郷と同じじゃこ天を見つけた。焼き目が強いほうが魚の匂いが立つと言ったのを、店主は十年近く覚えていた。

 網の上で表面がふくらみ、ぷつぷつと小さな音を立てた。焦げた魚の香りが煙に混じり、二つに切ると淡い湯気が上がる。噛めば細かな骨のざらりとした感触があり、あとから甘い脂が出た。

 故郷の小さなコミュニティラジオが、今月で終わる。

 高校時代、光貴はそこで週一回の番組を持っていた。進学で上京するとき、父から「遊びは終わりだ」と言われ、喧嘩したまま家を出た。それ以来、帰省は母の葬儀の一度だけだ。

 元スタッフから、最終放送へ三十秒の音声を送ってほしいと連絡が来た。光貴は断るつもりだった。懐かしい言葉を言えば、帰る気もないのに故郷を利用しているように思える。父が放送を聴くかもしれないことも怖かった。

 最終放送の案内ページには、昔の番組表が並んでいた。光貴の名前も、十七歳の声で作った短いジングルも残っている。再生すると、怖いほど明るい声で「また来週」と言っていた。来週を九百回以上も先延ばしにしたことになる。消したつもりの時間が、音の中では一度も途切れず続いていた。光貴は再生を止めても、短い旋律を耳から追い出せなかった。

「焦がすと、匂いが残るな」

 店主は換気扇を強くした。

「服にもつきますね」

「嫌なら、洗えばいい」

 短い返事に、光貴は笑った。

 スマートフォンの録音画面を開く。今夜は録らず、明日の朝、窓を開けて三十秒だけ話すことにした。楽しかった、帰りたい、とは言わない。

〈東京で今も音の仕事をしています。あの小さなブースで覚えたことを、まだ使っています〉

 それだけ伝える。父への言葉も、故郷へ戻る約束も入れない。放送が終わっても、二十年のわだかまりは残る。

 最後のじゃこ天は、焦げたところだけ少し苦かった。魚の濃い匂いと掌へ移った熱が、上着の袖までゆっくり染みた。