ぬるい水筒の相談
屋上で飲んだ麦茶は、驚くほどぬるかった。
「冷蔵庫、壊れてるの?」
僕が聞くと、彼女は水筒のふたを閉めた。
「朝、母が入れ忘れたから、自分で作った」
家庭科の授業を抜け出してきた彼女は、給水塔の影に座っていた。教室ではクッキーを焼いている。甘い匂いが階段の扉からかすかに漏れてくる。
「戻らなくていいの」
「今、家族で何か作る授業は無理」
昨日、両親が離婚すると聞かされたらしい。どちらと暮らすか、自分で決めていいと言われた。その「いい」が、ひどく重いのだという。
「選んだほうが好きってことになる?」
彼女は水筒を両手で包んだ。
「ならないだろ」
「選ばなかったほうは、そう思うかも」
僕は答えられなかった。僕の家は、夕食の時間がずれるだけで母が怒るくらい、変化が少ない。分かったふりをするほうが失礼だった。
風が吹き、家庭科室の換気扇から甘い匂いが流れてきた。
「クッキー、焦げてそう」
「私の班、計量できる人いないから」
彼女は笑った。すぐに黙った。
「どっちも選びたくない」
「じゃあ、それを言えば」
「子どもみたい」
「子どもだろ、まだ」
彼女はこちらを見た。
僕らは進路希望では大人扱いされ、門限では子ども扱いされる。都合よく境界線を動かされる年齢だった。
「選べないって、答えにならないかな」
「なるまで言えばいい」
「先生みたい」
「先生なら屋上で授業をサボらせない」
彼女は水筒を差し出した。僕は一口飲んだ。ぬるくて、少し薄い。けれど喉は潤った。
「まずい?」
「自分で作った味」
「何それ」
「失敗しても、誰かのせいにできない味」
彼女はふたをコップ代わりにして、自分にも注いだ。
やがて非常階段の扉が開き、同じ班の子が顔を出した。手には焦げたクッキー。
「探した。これ、あなたの分」
彼女は受け取り、黒い縁を指で割った。
「家族で作る授業じゃなかった?」
「班で作る授業」
その言葉に、彼女は少しだけ目を細めた。
僕ら三人で焦げたクッキーを食べた。麦茶はぬるく、風は強く、何も解決しなかった。
放課後、彼女は両親に「今は選べない」と伝えた。二人とも困った顔をしたという。
それでも、困る役を自分一人で引き受けなくてよくなった。
翌朝、彼女の水筒には氷が入っていた。誰が入れたのかは聞かなかった。廊下ですれ違うと、からん、と小さな音がした。