りんごを八つに割る

笹森嵩人が葉子の部屋へ駆けつけると、彼女は台所でりんごを剥いていた。

三十八度七分。電話では「少しだるいだけ」と言ったのに、包丁を持つ手が震えている。

「寝てろ」

「薬を飲むには食べないと」

「俺がやる」

「皮を厚く剥くから嫌」

葉子は嵩人の養母だ。二年前、嵩人が結婚するとき、相手の親に養子であることを話さなかった。葉子は式へ出ず、「親戚のおばさんでいい」と言った。結婚は半年で終わり、嵩人はそれを知らせていない。

二人でりんごを切ることにした。嵩人はまな板を漂白し、葉子は小鍋に湯を沸かした。熱のある人間へ働かせるなと言っても、葉子は「手を動かさないと余計に寒い」と聞かなかった。葉子が皮へ包丁を入れ、嵩人が皿の上で八つに割る。薄く剥くつもりの皮は途中で何度も切れた。

「指、貸して」と葉子が言う。

「熱ある人が命令するな」

「昔は手を添えないと包丁使えなかった」

「今は離せ」

口ではそう言いながら、嵩人は葉子の手首を支えた。一本の皮が最後までつながった。

りんごを食べ、薬を飲ませ、布団へ連れていく。嵩人は枕元に水、体温計、携帯電話を並べた。葉子が夜中に起きても手を伸ばせば届く距離を、何度も測り直した。葉子は眠る前、「奥さんに連絡した?」と聞いた。

「仕事中」

「迷惑かけないように帰りな」

「もう迷惑かける相手じゃない」

葉子は目を開けたが、嵩人は説明しなかった。離婚届のことも、今夜泊まる場所を決めていないことも。

夜中、熱は三十八度まで下がった。嵩人は残ったりんごを塩水へ浸し、朝の分として保存容器へ入れた。冷蔵庫には一人分の食材しかない。卵を買い足すメモの下に、葉子の字で〈牛乳〉とある。

嵩人はその横へ〈米・二キロ〉と書いた。

明け方、葉子が起きると、居間のソファに嵩人の上着が掛かっていた。玄関にはキャリーケースがある。離婚後、車に積んだままだった荷物だ。

葉子は何も聞かず、二つ目の枕を押し入れから出した。

嵩人は目を閉じたまま、りんごの容器が冷蔵庫のどこにあるかだけを伝えた。朝もここにいる人の声で。