イヤホンを外すまで

星川は、眠る直前までイヤホンを外せなかった。

音声配信が終われば次を探す。人の声が途切れると、部屋の配管音や冷蔵庫の振動が急に近づき、自分の考えまで大きくなるからだ。

午前二時三十二分。常夜灯は薄い橙色。空調は弱く回り、外では雨がベランダの柵を細かく叩いていた。

今夜の配信者は、何も教えず、ただ編み物をしていた。

針が触れる小さな音。毛糸を引く音。ときどき数を数える声。

「十九、二十。……違う、十八からでした」

配信者がほどく。糸が擦れ、椅子が一度軋む。

コメント欄には、別のリスナーが「私も一段ほどきました」と書いた。配信者は「一緒ですね」と答え、それ以上会話は続かなかった。

星川は編み物をしない。それでも、進んだものを戻す音を聞いていると、今日送れなかったメールや、決められなかった予定を、すぐ失敗と呼ばなくてよい気がした。

イヤホンの電池残量が十パーセントになる。赤い表示が出た。

いつもなら充電器をつなぐ。今夜は右耳だけ外した。

右には自分の雨と空調。左には毛糸と声。二つの音は速度が違い、どちらかがもう一方を消すことはなかった。

数分後、左も外した。イヤホンを枕元へ置く。配信はまだ続いており、スマートフォンの小さなスピーカーから「二十一、二十二」と漏れている。

星川は音量を下げた。

声は冷蔵庫が動き出すと聞こえなくなり、止まるとまた戻った。完全に失う前に、自分から少し遠ざけられたことが不思議だった。

やがて配信者が「この段までで終わります」と言う。糸を切る音はせず、続きは明日に残された。

配信が終わる前に、星川は画面を伏せた。

充電切れの警告はもう鳴らなかった。イヤホンの小さなランプだけが枕元で赤く点滅し、やがて消える。星川は暗くなった機器を充電せず、朝の自分へ任せた。

雨と空調と配管だけになる。考え事は消えなかったが、全部を今夜中に編み上げなくてもいい。星川はイヤホンをつけ直さず、片側を向いて目を閉じた。